## モンテスキューのローマ人盛衰原因論の思想的背景
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古代ローマ史研究の隆盛
モンテスキューの時代、18世紀フランスは啓蒙主義の時代であり、古代ギリシャ・ローマ文化への関心の高まりが見られました。古代ローマ史研究も盛んになり、歴史家たちはローマ帝国の栄光と衰退の原因を解明しようと試みました。モンテスキューもまた、古代ローマ史に深い関心を抱き、膨大な量の史料を渉猟しました。
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共和政ローマへの憧憬
当時のフランスは絶対王政の下にありました。モンテスキューは、当時のフランス社会の閉塞状況を打破するために、古代ローマ共和政の自由と virtù(徳)に理想を見出していました。彼は、ローマが共和政の時代には市民の徳によって繁栄したものの、帝政に移行してからはその徳が失われ、衰退していったと考えていました。
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イギリス経験と政治体制への批判
モンテスキューは、イギリスに滞在し、立憲君主制を目の当たりにしました。この経験から、彼は権力を分散させることの重要性を認識するようになりました。そして、フランスの絶対王政が権力の集中によって腐敗していると考えていました。ローマ帝国の衰退もまた、皇帝への権力集中が原因の一つであると彼は考えていました。
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自然の法則と歴史法則
モンテスキューは、ニュートンの影響を受け、自然界には法則が存在するように、歴史にも法則が存在すると考えていました。彼は、ローマ史を分析することで、歴史法則を明らかにしようと試みました。彼が「ローマ人盛衰原因論」で提示したローマ衰退の原因は、単にローマ帝国という特定の国家にのみ当てはまるものではなく、あらゆる国家に共通する歴史法則であると彼は考えていました。