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モンテスキューのローマ人盛衰原因論の対称性

## モンテスキューのローマ人盛衰原因論の対称性

### モンテスキューのローマ史観における対称性

モンテスキューは『ローマ人盛衰原因論』において、ローマ史を単なる出来事の羅列ではなく、ある種の法則性に基づいた盛衰の物語として捉えています。彼の歴史観においては、ローマの建国から滅亡に至る過程において、いくつかの対称的な構造を見出すことができます。

### 対照的な建国神話と滅亡の様相

モンテスキューは、ローマ建国神話におけるロムルスの残虐性と、帝国末期の蛮族によるローマ侵略を重ね合わせることによって、歴史における一種の因果応報的な構造を浮かび上がらせます。ロムルスによるレムの殺害という都市建設における最初の罪が、その後のローマの歴史に影を落とし、最終的に外部からの暴力によって滅亡へと導かれたという見方は、歴史における対称性を示唆しています。

### 小さな共和制から巨大な帝国へ、そして再び小さな国家へ

ローマは、質素で小さな共和制として出発し、領土を拡大して巨大な帝国へと成長しました。しかし、領土の拡大は同時に共和制の理念を蝕み、内乱と腐敗を招き、最終的には専制君主による支配を招きました。そして、帝国は再び分裂し、小さな国家へと戻っていきました。このローマ史のサイクルは、小さな共同体から巨大な帝国へ、そして再び小さな国家へと回帰するという点で、一つの対称性を示しています。

### 自由と腐敗のサイクル

モンテスキューは、ローマ史を自由と腐敗のサイクルとして捉えていました。共和制初期には、市民の徳と愛国心によって自由が維持されていましたが、領土の拡大と富の集中は、市民の堕落を招き、自由を蝕んでいきました。そして、自由が失われるとともに共和制は崩壊し、専制政治へと移行しました。この自由と腐敗のサイクルは、ローマ史全体を通じて繰り返し現れる対称的なパターンと言えます。

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