モンテスキューのローマ人盛衰原因論が関係する学問
歴史学
モンテスキューは『ローマ人盛衰原因論』において、膨大な歴史資料を渉猟し、古代ローマの建国から滅亡までを分析しています。
彼は、リウィウスやタキトゥスなどの歴史家の記述を引用しながら、ローマの政治体制、軍事制度、社会構造、宗教観などが、その盛衰にどのように影響を与えたのかを考察しました。
これは、歴史を単なる出来事の羅列としてではなく、因果関係に基づいて解釈しようとする、歴史学的なアプローチと言えます。
政治学
モンテスキューは、ローマの政治体制の変遷に特に注目し、共和政から帝政への移行が、ローマ衰退の大きな要因の一つであると論じています。
彼は、共和政期には、権力の分立や法の支配といった原則が守られていたため、ローマは繁栄したと考えました。しかし、帝政に移行すると、皇帝個人に権力が集中し、腐敗や専制が横行するようになった結果、ローマは衰退に向かっていったと分析しました。
これは、政治体制と社会の安定、繁栄との関係を考察する、政治学的な視点を示しています。
社会学
モンテスキューは、ローマ社会の変容にも目を向け、奢侈や道徳の衰退が、ローマの衰亡を加速させたと指摘しています。
彼は、共和政期には、市民たちは質素で勤勉な生活を送り、公共心に富んでいたと述べています。しかし、領土の拡大と奴隷制の普及によって、ローマ社会は豊かになる一方で、人々の間には享楽主義や無気力が広がっていき、それがローマの活力を奪い去ったと分析しました。
これは、社会構造や価値観の変化が、社会全体にどのような影響を与えるのかを考察する、社会学的な視点を示しています。