Skip to content Skip to footer

モンテスキューのローマ人盛衰原因論が扱う社会問題

## モンテスキューのローマ人盛衰原因論が扱う社会問題

###

政治体制の腐敗と専制

モンテスキューは、共和政ローマの隆盛を支えたのは、権力の分立と市民の政治参加による自由の保持にあったと考えた。しかし、領土の拡大とともに富と権力が集中し、貴族階級内部の対立や平民との格差が拡大する中で、共和政は腐敗していく。

特に、独裁官や護民官といった強力な権限を持つ職務の出現は、共和政の原則を歪め、権力闘争を激化させた。そして、カエサルやアウグストゥスといった人物の登場によって共和政は終焉を迎え、帝政へと移行する。

帝政初期は、アウグストゥスが巧みな政治手腕で平和と繁栄をもたらしたものの、その後継者たちは専制的な支配を強め、元老院や市民集会といった共和政の名残を形骸化させていく。

###

領土拡大の矛盾と軍隊の腐敗

モンテスキューは、ローマの領土拡大が繁栄の源泉であったと同時に、衰退の要因ともなったと指摘する。領土拡大は、ローマにもたらされる富と奴隷を増大させたが、同時に共和政の精神を蝕む要因ともなった。

征服戦争の長期化は、市民兵としての農民層を疲弊させ、土地を失った農民は都市に流入し、無産市民層を形成した。彼らは政治的に不安定な要素となり、権力者の保護を求めるようになり、共和政の基盤を揺るがした。

また、軍隊は、かつては共和政を守る市民軍であったが、領土拡大と共に職業軍人化し、国家への忠誠よりも将軍個人への忠誠を重視するようになった。これは、軍隊が政治権力に介入するようになり、内乱や帝政への移行を招く要因となった。

###

奢侈と道徳の衰退

モンテスキューは、ローマの衰退を語る上で、奢侈と道徳の衰退を重要な要因として挙げている。領土拡大と奴隷制によって、ローマには莫大な富と贅沢品が流入し、人々は享楽的な生活に耽るようになった。

共和政初期にローマ市民を特徴づけていた、質実剛健、公共心、祖国への献身といった美徳は失われ、私欲と享楽が蔓延した。このような道徳の衰退は、ローマ市民の政治への無関心を招き、共和政の衰退を加速させた。

また、奢侈は社会の階層間の格差を拡大させ、社会不安を増大させた。富裕層は贅沢な生活を誇示し、貧困層はますます困窮する状況は、社会の分断を深め、政治的な不安定化をもたらした。

###

キリスト教の影響

モンテスキューは、キリスト教の広がりがローマ帝国の衰退を加速させた一面にも触れている。彼は、キリスト教の禁欲的な倫理観や来世主義的な思想が、ローマ市民の伝統的な価値観や civic virtue と呼ばれる公共心に反するものであったと考えた。

また、キリスト教はローマの伝統的な多神教と異なり、排他的な一神教であったため、ローマ社会に新たな対立と混乱をもたらした。キリスト教徒に対する迫害は、社会不安を増大させ、帝国の統合を阻害する要因となった。

ただし、モンテスキューはキリスト教をローマ衰退の唯一の原因とは考えていない。彼は、キリスト教の影響はあくまでローマ社会が抱えていた問題を悪化させる一要素に過ぎないと考えていた。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5