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モンテスキューのローマ人盛衰原因論から学ぶ時代性

## モンテスキューのローマ人盛衰原因論から学ぶ時代性

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共和政から帝政へ:変革の必然と退廃の萌芽

モンテスキューは、著書『ローマ人盛衰原因論』において、ローマ史を共和政の誕生から帝政の確立、そしてその後の衰退までを壮大なスケールで描き出しています。彼は、ローマの隆盛を支えたのは、市民の徳、すなわち祖国愛や正義、法律への服従といった共和政の理念を体現した精神であったと論じます。

しかし、領土の拡大と経済の発展は、皮肉にも共和政の理念を揺るがす要因となりました。富の集中と貧富の格差の拡大は、市民の間に利害の対立を生み出し、徳の衰退を招いたのです。また、広大な領土の統治は、強力な指導者を求める声が高まり、共和政の原則である権力の分散を揺るがすことになりました。

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栄光の代償:拡大する領土と蝕まれる共和制の精神

モンテスキューは、カエサルの登場を共和政から帝政への転換点として捉えています。カエサルは、その卓越した軍事力と政治的手腕によって、内乱と混乱の続くローマに秩序をもたらしました。しかし、それは同時に、共和政の理念を踏みにじるものでもありました。

モンテスキューは、カエサルがローマ市民の自由を奪った独裁者であったと断罪する一方で、彼がローマの置かれた状況においては必然的な存在であったとも認めています。共和政の理念がすでに衰退し、強力な指導者を求める声が支配的であった当時のローマにおいて、カエサルは時代の要請に応えた存在であったと言えるでしょう。

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繁栄と腐敗の螺旋:帝政ローマの光と影

帝政ローマは、アウグストゥス帝の時代以降、パクス・ロマーナと呼ばれる平和と繁栄の時代を築き上げます。しかし、モンテスキューは、この繁栄の裏側には、共和政時代に培われた市民の徳のさらなる衰退と、専制的な支配体制の強化があったことを指摘します。

皇帝の権力は絶対化し、市民は政治への参加意識を失い、奢侈と享楽に耽るようになりました。また、広大な帝国を維持するために、軍隊の力がますます強大化し、政治への介入を深めていったことも、ローマの衰退を加速させる要因となりました。

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