## モアのユートピアの批評
ユートピアにおける労働観
モアはユートピアにおいて、労働こそが市民の義務であると説いています。
農業は全ての市民が習熟し、交代で行う義務があるとされます。
また、都市部に住む市民も、必要に応じて農村での労働に従事しなければなりません。
これは、当時のイギリス社会における労働に対する軽視、特に貴族階級の怠惰な生活様式に対する痛烈な批判として解釈できます。
一方で、ユートピアにおける労働は、あくまでも社会に貢献するための手段として位置付けられています。
市民は余暇時間を自由に使うことができ、学問や芸術を楽しみます。
この点は、労働を苦役と捉えるのではなく、人間の幸福に不可欠な要素として捉える、当時としては非常に進歩的な考え方でした。
私有財産制の否定
ユートピアでは私有財産制が否定され、全てのものは共有財産とされています。
市民は必要なものを必要なだけ共有倉庫から受け取り、貨幣経済は存在しません。
このシステムは、当時のイギリス社会における貧富の格差や、金銭欲による腐敗に対する批判として理解できます。
しかし、私有財産を完全に否定することが現実的に可能なのか、という疑問は残ります。
人間の所有欲や競争心を完全に抑制することは容易ではなく、私有財産制の否定は、個人の自由や創造性を阻害する可能性も孕んでいると言えるでしょう。
全体主義的な側面
ユートピア社会は、統制の取れた秩序と規則によって維持されています。
市民の生活は厳格に管理され、職業選択や結婚、旅行など、あらゆる面で国家の許可が必要となります。
これは、当時のイギリス社会における混乱や無秩序に対するアンチテーゼとして描かれた側面もありますが、現代の視点から見ると、全体主義的な要素が強いという批判は避けられません。
個人の自由や権利が制限され、国家による監視が徹底されている社会は、息苦しく、個性を発揮することが難しい社会と言えるでしょう。
ユートピアが目指した理想社会は、皮肉にも、個人の尊厳や自由を犠牲にする可能性を孕んでいるというジレンマを抱えています。