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モアのユートピアに関連する歴史上の事件

## モアのユートピアに関連する歴史上の事件

トマス・モアとヘンリー8世

トマス・モアは、イングランド王ヘンリー8世の側近であり、友人でもありました。モアはヘンリー8世の信任厚く、大法官にまで登り詰めました。

しかし、ヘンリー8世が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を望み、ローマ教皇庁との対立を深めていく中で、モアは苦しい立場に立たされることになります。敬虔なカトリック教徒であったモアは、国王の離婚と、国王を首長とするイングランド国教会の設立に反対したため、ヘンリー8世の怒りを買い、反逆罪で処刑されてしまいました。

宗教改革

モアが「ユートピア」を執筆した16世紀初頭、ヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れていました。マルティン・ルターによる95ヶ条の論題が引き金となり、カトリック教会の権威に対する批判が高まり、プロテスタント諸派が生まれていきました。

「ユートピア」の中では、宗教の自由が認められており、人々は自分の信じるところの神を自由に信仰することが許されています。これは、当時のヨーロッパ社会においては極めて斬新な考えであり、モアの宗教改革に対する問題意識が色濃く反映されていると言えるでしょう。

大航海時代と新大陸の発見

モアが「ユートピア」を著した16世紀は、ヨーロッパ人にとって未知の世界であったアメリカ大陸が「発見」された時代と重なります。コロンブスの航海に始まる大航海時代は、ヨーロッパにもたらされる富や情報、そして人々の価値観に大きな変化をもたらしました。

「ユートピア」の中では、航海によってユートピアを訪れた探検家によって、その理想社会のあり方が語られます。これは、当時のヨーロッパ社会に大きなインパクトを与えた大航海時代と新大陸発見の影響を色濃く反映していると言えるでしょう。

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