メルヴィルのビリー・バッドとアートとの関係
美と善の関係
メルヴィルの『ビリー・バッド』では、美と善の相関関係が繰り返し取り上げられています。ビリー・バッド自身、肉体的にも精神的にも並外れた美しさを持ち合わせており、「ハンサムなセイラー」と評されています。彼の美しさは、周囲の人々に感嘆の念を抱かせ、見る者を魅了する純粋さ、無邪気さの表れとされています。例えば、ベレポアに乗船したばかりの頃、ベテランの船員たちは、ビリーの若々しい美しさに驚き、彼を「何か特別な存在」と見ていました。しかし、小説では、この従来の美と善の関連付けが疑問視されています。ビリーの肉体的な魅力は、彼の内面の葛藤や、善と悪を理解するという複雑さを覆い隠しているかのようです。
法律と正義の芸術性
『ビリー・バッド』は、厳格な法律と、より人間的な正義の概念との対立を探求した、法と正義の微妙な描写としても解釈できます。ヴィア大尉は法の条文を順守することに縛られており、ビリーに対する判決が厳しいものであることは認識していますが、反乱の時代に秩序を維持するためには必要だと考えています。この視点から見ると、法律は、社会の具体的なニーズを考慮に入れることができない、厳格で融通の利かない芸術形式として提示されています。
語り口調:視点と客観性の探求
メルヴィルの語り口調は、登場人物や出来事を描く上で、客観性と主観性の相互作用を探求する、独特の芸術性を作品に与えています。物語は全知の語り手によって語られますが、登場人物の限られた視点や主観的な解釈も織り交ぜられています。語り手のビリー、クラッガード、ヴィア大尉に対する洞察力は、彼らの動機や行動を完全に理解できないことを認めており、読者が登場人物と出来事を独自の解釈で受け止めることができるようになっています。