## メルヴィルのタイピーの思索
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タイピーにおける「思索」の位置付け
ハーマン・メルヴィルの小説『タイピー』は、語り手である「私」が、南太平洋のマルケサス諸島ヌクヒーヴァ島での体験を語るという形式をとっています。この作品において、「思索」は物語の進行と不可分に結びついています。
「私」は、タイピー族の村に滞在する中で、彼らの生活様式や文化を観察し、西洋文明との比較を通して、文明、野蛮、幸福、自由、人間の本性など、根源的な問題について深く考察していきます。
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タイピー族の生活様式と西洋文明への批判
「私」は、タイピー族の生活を、労働や苦悩から解放された、楽園のような暮らしとして描いています。彼らは自然と調和し、争いごとや所有欲とは無縁な生活を送っています。
一方、「私」は、西洋文明がもたらす競争や物質主義、偽善などを批判的に見ています。タイピー族との比較を通して、「私」は西洋文明の優位性に疑問を呈し、人間にとっての真の幸福とは何かを問いかけています。
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「私」の内的葛藤と自由への希求
「私」は、タイピー族の生活に魅力を感じながらも、完全には彼らの社会に溶け込むことができず、文明社会への郷愁を抱き続けます。
この葛藤は、「私」の自由への希求と結びついています。タイピー族の楽園的な暮らしは、裏返せば、文明社会からの逃避であり、真の自由とは言えません。「私」は、文明社会の束縛からも、タイピー族の共同体への帰属からも自由でありたいと願い、その願いは、物語の最後まで貫かれます。
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未開社会へのロマン主義的なまなざし
『タイピー』は、19世紀の西洋文学において流行した、未開社会へのロマン主義的なまなざしを色濃く反映した作品です。
「私」は、タイピー族を、文明によって汚染されていない「高貴な野蛮人」として理想化して描いている側面があります。