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メルヴィルの「ビリー・バッド」の思想的背景

メルヴィルの「ビリー・バッド」の思想的背景

善と悪の対立

「ビリー・バッド」は、単純な善悪二元論を超えた、人間の性質における善と悪の複雑な絡み合いを探求しています。主人公ビリーは、生まれつきの善良さと純粋さを体現していますが、同時に衝動的で暴力的な側面も持ち合わせています。一方、悪役のクレイカートは、冷酷で計算高い人物として描かれ、ビリーとは対照的な存在です。しかし、物語が進むにつれて、クレイカートの悪意の背後には、抑圧された欲望や社会的規範に対する歪んだ正義感など、複雑な要因が隠されていることが示唆されます。

法と正義の不確かさ

「ビリー・バッド」は、法と正義の概念、そしてそれが常に一致するとは限らないという現実を問いかけています。ビリーは、正当防衛とは言い難い状況でクレイカートを殺害し、軍法会議にかけられます。法廷では、ビリーの無実の心やクレイカートの悪意が認められるものの、当時の厳格な軍法の下では、ビリーは死刑を宣告されます。この結末は、法の条文と真の正義の間にある溝、そして倫理的なジレンマに直面した人間の苦悩を浮き彫りにしています。

運命と自由意志の葛藤

「ビリー・バッド」は、人間の運命と自由意志の複雑な関係を探求しています。ビリーは、「ハンサムな水兵」という呼び名で知られるように、その魅力的な容姿と純粋さゆえに周囲の人々に愛されますが、同時に彼は、自分自身の行動を完全に制御できない宿命を背負っているようにも見えます。クレイカートとの対立、衝動的な殺人、そして避けられない死刑判決は、ビリーが自由意志を持ちながらも、抗うことのできない大きな力に翻弄されていることを示唆しています。

キリスト教的象徴主義

「ビリー・バッド」には、キリスト教的な象徴主義が随所に散りばめられており、物語に多層的な意味合いを与えています。ビリーは、その純粋さと犠牲的精神から、しばしばキリストになぞらえられます。一方、クレイカートは、誘惑者やサタンの象徴として解釈されることがあります。また、物語の舞台となる軍艦「ベレロフォン」は、ギリシャ神話に登場する翼のある馬ペガサスを飼い慣らした英雄ベレロフォンにちなんで名付けられており、人間の魂の葛藤や高みへの憧憬を象徴しているという解釈も存在します。

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