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メルロ=ポンティの知覚の現象学の翻訳

## メルロ=ポンティの知覚の現象学の翻訳

メルロ=ポンティの主著「Phénoménologie de la perception」は、日本語では一般的に「知覚の現象学」と訳されます。

この翻訳は一見すると自然で問題がないように思われます。しかし、原題やメルロ=ポンティの思想を深く理解しようとすると、いくつかの重要な論点が浮かび上がってきます。

まず、「Phénoménologie」の翻訳について検討してみましょう。

この語は、現象学という哲学的な立場を表す言葉として、日本語でもそのまま「現象学」と訳されるのが一般的です。 しかし、メルロ=ポンティは伝統的な現象学を批判的に継承しており、彼自身の現象学は独特な特徴を持っています。具体的には、フッサールの超越論的現象学が目指した意識と対象の二元論を超克し、身体性を介した世界との「関わり」の中に意識の根源を見出そうとした点に、メルロ=ポンティ現象学の独自性があります。

次に、「perception」の翻訳について見ていきましょう。

この語は、日本語では一般的に「知覚」と訳されます。しかし、「perception」には、単に五感で外界を知覚するという狭い意味だけでなく、「気づく」「理解する」といったより広い意味合いも含まれています。 実際、メルロ=ポンティ自身も、「perception」を、世界と関わり、世界を理解するための、身体を介した能動的な行為として捉えていました。

これらの点を踏まえると、「知覚の現象学」という翻訳は、

メルロ=ポンティの思想の独自性や「perception」の持つ豊かな意味合いを十分に反映しているとは言えない側面があることも事実です。

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