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メルロ=ポンティの知覚の現象学の構成

## メルロ=ポンティの知覚の現象学の構成

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序論

メルロ=ポンティは、序論において、伝統的な心理学、生理学、あるいは哲学が陥ってきた二元論的な知覚理解を批判するところから議論を始める。彼によれば、経験主義や知性主義といった立場は、それぞれ感覚データや心的構造といったものを想定することで、世界と私の関係を二分し、世界を「内的」と「外的」に切り離してしまう。

こうした二元論を克服するために、メルロ=ポンティは現象学的方法を採用する。現象学は、先入観や前提を排し、「事物そのもの」へと立ち返ることを目指す。メルロ=ポンティは、知覚経験をありのままに記述することによって、世界と私が切り離されたものではなく、むしろ相互に織りなす関係性の中で成り立っていることを明らかにしようとする。

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第一部 知覚の構造

第一部では、知覚経験の構造分析を通じて、世界と私の新たな関係が提示される。

まず、「身体」が主題化される。メルロ=ポンティにとって、身体は単なる物質的対象ではなく、世界と関わり、世界を理解するための根本的な場所である。彼は、「私は私の身体を持つ」のではなく、「私は私の身体である」と主張する。身体は、世界の中に「投げ込まれた存在」として、世界と常に関係し、世界を「生きられた」ものとして経験する。

続いて、空間、事物、時間といった具体的な知覚経験が分析される。メルロ=ポンティは、我々が空間を認識するのは、幾何学的な座標系の中ではなく、身体運動の可能性を通してであると主張する。事物は、感覚データの集合体ではなく、さまざまな側面や可能性を備えた「ゲシュタルト」として知覚される。また、時間は客観的な流れとしてではなく、身体のリズムや経験の持続として体験される。

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第二部 知覚される世界の構成

第二部では、第一部の分析を踏まえ、知覚される世界がどのように構成されるのかが考察される。

まず、自然と文化の関係が主題化される。メルロ=ポンティは、自然を客観的な法則に支配された閉じた体系と見なす科学的な見方を批判する。彼にとって、自然は人間を含むあらゆる存在が相互に関係し合う開かれた世界である。文化は自然に対立するものではなく、自然との対話を通じて生み出される。

続いて、言語、歴史、他者といったテーマが扱われる。言語は単なる記号体系ではなく、世界における私たちの経験を表現し、他者と共有することを可能にする。歴史は過去の出来事の単なる積み重ねではなく、現在における私たちの解釈や行動に影響を与える。他者は、私と対立する存在ではなく、私と共通の世界を共有し、私を豊かにする存在である。

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