## メルロ=ポンティの知覚の現象学の対極
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メルロ=ポンティの「知覚の現象学」
モーリス・メルロ=ポンティの主著『知覚の現象学』(1945年)は、伝統的な哲学における身体と世界の二元論を克服し、我々が世界の中に生きている存在として、身体を通して世界を能動的に知覚し、意味を与えていることを明らかにしました。彼は、身体を「知覚する主体と知覚される客体との間の媒介者」と捉え、身体が習慣、状況、歴史を通じて世界と関わることで、意味が生成されると主張しました。
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「知覚の現象学」への対抗軸
メルロ=ポンティの思想の対極に位置するような単一の「歴史的名著」を特定することは困難です。なぜなら、哲学は多様な視点が交差する中で発展してきたものであり、一つの著作を絶対的な対立軸として位置付けることは、その複雑さを無視することに繋がるからです。
しかし、「知覚の現象学」が提起した問題系に対して、異なる立場から対抗しうる思想は複数存在します。ここでは、代表的な対抗軸として、以下の二つを挙げ、それぞれについて解説します。
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1. 分析哲学における心の哲学:表象主義と計算主義
メルロ=ポンティの現象学は、意識と世界の直接的な結びつきを重視し、言語化以前の身体的な経験を哲学の出発点としました。一方、20世紀半ばに隆盛した分析哲学、特に心の哲学は、言語分析を通じて心の働きを解明しようとする立場をとりました。
この立場において、心の働きは、外界からの感覚入力を処理し、表象(representation)と呼ばれる心の内的状態を作り出すことだとされます。表象主義と呼ばれるこの立場は、世界を直接知覚するのではなく、あくまで世界を表象する心の内的状態を通して世界を経験すると考えます。
さらに、心の働きを情報処理システムになぞらえ、計算過程として説明しようとする計算主義も、メルロ=ポンティの思想とは対照的です。計算主義は、心の働きをアルゴリズムによって説明可能とし、意識や身体性を計算過程に還元しようとする点で、メルロ=ポンティの身体性を重視する立場と対立します。
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2. フッサールの現象学:超越論的主観性と意識の構造
メルロ=ポンティ自身、現象学の創始者であるエトムント・フッサールの影響を強く受けていますが、両者の間には重要な差異が存在します。フッサールは、意識と対象との関係を厳密に分析するために「現象学的還元」と呼ばれる方法を提唱し、あらゆる先入観や偏見を排除した「純粋意識」の分析を目指しました。
フッサールは、意識は常に「何か」を意識するという構造を持つとし、この構造を「志向性」と呼びました。そして、意識は超越論的主観性として、世界の構成に先立って存在すると考えました。
一方、メルロ=ポンティは、フッサールの超越論的主観性の概念を批判し、身体を介した具体的な経験を重視しました。彼は、意識は世界から孤立したものではなく、身体を通して世界に参与し、世界と相互に作用する中で成立すると考えました。
これらの対抗軸は、メルロ=ポンティの「知覚の現象学」をより深く理解するための重要な視点を提供します。メルロ=ポンティの思想は、これらの対抗軸との対話を通して、現代思想に多大な影響を与え続けています。