メルロ=ポンティの知覚の現象学の企画書
執筆の背景
現象学は、フッサールの登場以降、哲学のみならず、心理学、精神医学、地理学、社会学といった多様な分野へと影響を与えつつ発展してきた。現象学の根本的な方法が「事物それ自体への立ち帰り」である以上、意識と対象の関連において本質的に与えられるものとしての身体の問題は、現象学にとって避けて通れない問題である。しかし、現象学は、フッサールの晩年の著作群や、ハイデガーの「存在と時間」、そして、サルトルの「存在と無」といった著作において、意識と存在の問題に重点が置かれ、身体の問題は十分に考察されてこなかった。
本書の目的
そこで、本書においては、これまで十分に考察されてこなかった身体の問題に焦点を当て、知覚の働きを通して身体と世界、意識と対象の新しい関係を明らかにする。その際、従来の伝統的な哲学、心理学における身体観、知覚論を批判的に検討し、現象学的な還元によって明らかになる身体の独自の働きを明らかにする。
本書の内容
本書は、大きく分けて三部構成とする。
第一部では、デカルトに始まる伝統的な哲学における身体観、知覚論を批判的に検討する。デカルトにおいては、精神と身体は実体的に区別され、身体は精神によって認識される対象として捉えられていた。この二元論的な枠組みは、その後の哲学、心理学にも強い影響を与え、身体は客観的な物理的実体として、知覚は外界からの感覚情報の受動的な処理過程として理解されるようになった。
第二部では、フッサールの現象学における身体論、知覚論を検討し、デカルト的な二元論を克服する糸口を探る。フッサールは、意識と対象の相関関係を明らかにする現象学的還元によって、身体が単なる物理的実体ではなく、意識と世界を媒介する「生きた身体」として機能していることを明らかにした。
第三部では、フッサールの現象学を継承しつつ、独自の身体論、知覚論を展開する。身体は、単に意識と世界を媒介するだけでなく、世界の中に「働きかけ」、世界を「意味づける」主体として機能している。知覚は、外界からの感覚情報の受動的な処理過程ではなく、身体運動を通して能動的に世界を構成する活動である。
本書の意義
本書は、従来の伝統的な哲学、心理学における身体観、知覚論を批判的に検討し、現象学的なアプローチを通して身体の独自の働きを明らかにすることで、人間の存在理解に新たな光を投げかけるものである。