メルロ=ポンティの知覚の現象学から学ぶ時代性
メルロ=ポンティにおける身体と知覚
メルロ=ポンティの現象学において、時代性という概念を理解するには、まず彼の身体論と知覚論の密接な関係を理解する必要があります。デカルト的な身心二元論を批判し、メルロ=ポンティは、我々が世界を認識する主体としての「意識」は、身体とは切り離された存在ではなく、身体を介して世界と関わることによって成立すると主張しました。
身体=主体と世界との媒介としての「習慣」
では、身体を介した世界との関わりの中で、どのようにして我々の知覚は形成されるのでしょうか。メルロ=ポンティはこの問いに答えるために「習慣」という概念を導入します。習慣とは、反復的な行為を通じて身体が特定の環境や状況に適応し、その環境や状況に適した反応を自然と行えるようになる過程を指します。
例えば、自転車に乗ることを考えてみましょう。最初は意識的にペダルを漕ぎ、ハンドル操作を行う必要がありますが、練習を重ねるうちに、これらの動作は意識することなく自然とできるようになります。これは、身体が自転車に乗るという行為に習慣化され、自転車と一体となって環境と関わる術を身につけるからです。
習慣化された身体が織りなす「時代」という枠組み
メルロ=ポンティは、この習慣化の過程が、我々の知覚を規定する文化的、歴史的な枠組み、すなわち「時代」を形成すると考えました。特定の時代に生きる人々は、その時代に特有の習慣、慣習、技術、言語などを共有し、共通の「世界」を生きています。そして、我々は、身体を通じてこの「世界」と関わり、習慣を形成することで、その「世界」に組み込まれていくのです。
このように、メルロ=ポンティにとって、時代とは単なる時間的な区分ではなく、共通の習慣によって規定された、共有された世界の枠組みと言えるでしょう。そして、我々は、この枠組みの中で身体を介して世界を経験することで、時代性を生きる存在となるのです。