ミルトンの復楽園の対極
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失楽園の対極:多様な解釈
「ミルトンの復楽園」の対極に位置する作品を一つに特定することは困難です。なぜなら、「復楽園」自体が多様な解釈を許容する複雑な作品であり、その対極もまた多岐にわたる可能性があるからです。
例えば、「復楽園」を「人間の堕落」というキリスト教的な教義を描いた作品と解釈するならば、その対極は楽観的な人間観に基づき、人間の善性や可能性を謳歌する作品となるでしょう。 ルソーの「エミール」やゲーテの「ファウスト」などがその候補として挙げられます。
一方で、「復楽園」を「自由意志と神の摂理」というテーマを扱った作品と捉えるならば、人間の自由意志を否定し、運命や宿命に従うことを肯定的に描いた作品が対極となりえます。ギリシャ悲劇の傑作であるソフォクレスの「オイディプス王」や、シェイクスピアの「マクベス」などがその例として考えられます。
さらに、「復楽園」を叙事詩という形式に着目した場合、その対極は小説や戯曲といった異なる文学ジャンルに属する作品となるでしょう。セルバンテスの「ドン・キホーテ」や、ドストエフスキーの「罪と罰」などは、叙事詩とは異なる形式で人間の深淵を描いた作品として挙げられます。
このように、「ミルトンの復楽園」の対極は一義的に決定できるものではなく、解釈の仕方によって多様な作品が考えられます。