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ミルトンの復楽園と時間

ミルトンの復楽園と時間

時間の概念

『失楽園』では、時間が重要なテーマとして扱われています。ミルトンは、神の時間と人間の時間という、異なる二つの時間の概念を提示します。

神の時間とは、永遠であり、変化のない完全な時間です。神は時間の束縛を受けず、過去、現在、未来をすべて見通すことができます。

一方、人間の時間は線形的であり、過去から未来へと流れ、誕生と死によって区切られています。楽園追放以前のアダムとイブは、神の時間に近い状態にありましたが、禁断の果実を口にしたことで、人間の時間の中に投げ込まれることになります。

時間の経過の描写

ミルトンは、作中で様々な方法を用いて時間の経過を描写しています。

例えば、太陽や月の動き、季節の移り変わりといった自然現象を通して、時間の流れを表現しています。また、登場人物たちの会話や行動、内面の変化を通して、時間経過を暗示することもあります。

さらに、ミルトンは、時間そのものを擬人化し、登場人物の一人として登場させることもあります。例えば、第4歌では、時間が「白髪混じりの父」として描写され、サタンと対峙する場面が描かれています。

時間の象徴性

『失楽園』において、時間は単なる経過や流れとして描かれているだけではなく、象徴的な意味も持ち合わせています。

例えば、時間は、人間の堕落、罪、死、そして喪失と結びつけられています。楽園追放によって、アダムとイブは永遠の命を失い、有限の時間の中に生きることになります。

しかし同時に、時間は希望や救済の可能性も象徴しています。アダムとイブは、未来に救世主が現れ、人類を罪から救済するという約束を与えられています。時間は、彼らがその救済を待ち望むことを可能にするものでもあります。

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