ミルの自由論の対極
プラトンの「国家」
「ミルの自由論」は、個人の自由を最大限に尊重し、国家や社会による介入を最小限に抑えるべきだとする、自由主義の古典的名著です。一方、プラトンの「国家」は、理想的な国家体制を追求する中で、個人の自由よりも国家全体の秩序と調和を重視する立場をとっています。
「国家」においてプラトンは、哲学者王が統治する理想国家を描写します。そこでは、人々は生まれながらにして異なる資質を持ち、それぞれが社会全体のために最適な役割を果たすことが求められます。個人の自由な選択よりも、国家全体の調和と正義の実現が優先される社会です。
例えば、「国家」では、個人の所有欲を否定し、財産や家族を共有するシステムが提案されています。これは、私有財産や家族関係が、社会全体の秩序を乱す要因になると考えられているためです。また、教育や職業選択も、個人の自由ではなく、国家によって厳格に管理されます。
このように、「ミルの自由論」と「プラトンの国家」は、個人の自由と国家の役割に関する根本的な思想の違いを示す好例と言えるでしょう。前者が個人の自由を最大限に尊重する立場をとるのに対し、後者は国家全体の秩序と調和を重視し、個人の自由を制限することもいとわない立場をとっています。