## マンのヴェニスに死すの比喩表現
美の寓意、タッジオ
タッジオは作中、終始一貫して「完璧な美」の象徴として描かれています。ポーランド貴族の少年という設定や、その容姿の描写は、古典彫刻を思わせるような完璧な美の概念を体現しています。アッシェンバッハがタッジオに見出した美は、単なる肉体的な美しさではなく、芸術作品を鑑賞する際に感じるような、崇高で精神的なものでした。
例えば、作中ではタッジオの姿がギリシャ彫刻になぞらえられたり、彼のブロンドの髪が古代ギリシャの彫刻に見られる金箔を連想させたりと、具体的な描写を通してその美しさが強調されています。さらに、アッシェンバッハがタッジオに惹かれていく過程は、彼が芸術に対する純粋な情熱を取り戻していく過程と重ねられています。
このように、タッジオはアッシェンバッハにとって単なる少年ではなく、彼自身の芸術家としての理想、そして追い求めるべき美の象徴として存在しています。
ヴェネツィアという舞台装置
物語の舞台となるヴェネツィアは、その退廃的な美しさで、アッシェンバッハの心情と不可分に結びついています。かつての栄光を偲ばせる美しい街並みと、徐々に広がりつつあるコレラの影。この対比は、アッシェンバッハ自身の内面に渦巻く、理性と情熱、生と死といった対立する概念を象徴しています。
例えば、作中では、運河の水の淀みや、街に漂う消毒薬の匂いなどが、ヴェネツィアの持つ不吉な側面を強調するように描写されています。一方、潟に沈む夕日の美しさや、サン・マルコ広場の賑わいは、かつての栄華を彷彿とさせると同時に、アッシェンバッハの心を揺さぶる美の象徴として機能しています。
このように、ヴェネツィアという都市は、単なる物語の背景ではなく、アッシェンバッハの内的葛藤を映し出す鏡のような存在として、重要な役割を担っています。