マンのヴェニスに死すの対極
ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター修業時代」における積極的な人生への没入
トーマス・マンの「ヴェニスに死す」は、老いた芸術家が美への執着と死の影に囚われていく様を描いた作品です。一方、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター修業時代」は、若い主人公が芸術と現実の狭間で葛藤しながらも、最終的には社会との関わりの中で自己実現を果たしていく Bildungsroman(教養小説)の傑作として知られています。
対照的な舞台設定:閉塞的なヴェネツィアと開放的なドイツ社会
「ヴェニスに死す」の舞台となるのは、コレラ流行の不安が漂う、退廃的で閉鎖的なヴェネツィアです。主人公アッシェンバッハは、この街の美しさに囚われると同時に、そこから逃れられない自身の老いと死の影におびやかされます。
一方、「ヴィルヘルム・マイスター修業時代」の舞台は、18世紀後半のドイツ各地です。主人公ヴィルヘルムは、演劇の世界に憧れながらも、様々な職業や階層の人々との出会いと経験を通して成長し、社会の一員としての役割を見出していきます。
受動的な愛と能動的な愛
アッシェンバッハは、ポーランドの美少年タジオに一方的な憧れを抱き、彼を追うことで破滅へと向かいます。彼の愛は、受動的で自己中心的であり、現実との関わりを欠いています。
対照的に、ヴィルヘルムは、貴族の女性シャルロッテへの叶わぬ恋を経験した後も、ロターリオやミニヨンなど、様々な人物との出会いと別れを通して、愛や人間関係の複雑さを学び、成長していきます。
芸術至上主義と社会との調和
「ヴェニスに死す」は、芸術の美しさに執着するあまり、現実から遊離し、破滅へと向かう芸術家の姿を描き出しています。アッシェンバッハは、芸術を現実を超越した絶対的な価値と捉え、社会的な責任や倫理観を軽視しています。
一方、「ヴィルヘルム・マイスター修業時代」は、芸術と現実の調和を模索する主人公の姿を描いています。ヴィルヘルムは、最終的に演劇の世界を諦め、社会の一員として生きることを選択します。彼の選択は、芸術を人生の全てとするのではなく、社会との関わりの中でその価値を見出そうとするゲーテ自身の思想を反映しています。