## マンのヴェニスに死すに関連する歴史上の事件
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世紀末ウィーンと芸術の変革
トーマス・マンの『ヴェニスに死す』は、1911年に発表された中編小説ですが、その背景には、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻した世紀末ウィーンの退廃的な雰囲気と、それに伴う芸術の変革が色濃く反映されています。
当時のウィーンは、ハプスブルク帝国の首都として繁栄を極めていましたが、同時に政治的な停滞や社会不安も抱えていました。伝統的な価値観と新しい思想が激しく対立し、人々の間には厭世的なムードや退廃的な享楽への傾倒が広がっていました。
こうした時代の空気は、芸術にも大きな影響を与えました。従来の写実主義やロマン主義に代わり、象徴主義や表現主義といった新しい芸術運動が台頭し、人間の深層心理や社会の矛盾を鋭く表現しました。グスタフ・クリムトやエゴン・シーレといったウィーン分離派の画家たちは、その代表的な存在と言えるでしょう。
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コレラ流行と死の影
『ヴェニスに死す』の物語の重要な要素として、コレラの流行が挙げられます。作中では、ヴェネツィアにコレラが蔓延し、主人公のアッシェンバッハもその脅威に晒されます。
コレラは、19世紀に世界的に大流行した感染症であり、当時のヨーロッパの人々にとって恐怖の対象でした。特に、1832年のコレラ流行はヨーロッパ全土に広がり、多くの死者を出しました。
コレラの流行は、人々に死の影を突きつけ、生と死に対する意識を大きく変容させました。また、衛生状態の悪さや社会の不平等がコレラの蔓延を招いたことから、社会構造に対する批判的な視点を生み出すきっかけにもなりました。
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第一次世界大戦の予兆
『ヴェニスに死す』は、1912年に勃発する第一次世界大戦の直前に書かれており、作中には戦争の予兆とも取れる描写が散りばめられています。
例えば、アッシェンバッハがヴェネツィアに到着した際、街は異様な熱気と不安感に包まれており、人々はどこか神経質な様子を見せています。また、作中で繰り返される「異邦人」という言葉は、当時のヨーロッパにおける国家間の緊張や外国人排斥の風潮を象徴しているようにも解釈できます。
マン自身も、後年になって『ヴェニスに死す』は「時代の終焉、崩壊しつつある世界における最後の閃光を描いた作品」と語っています。作中に漂う閉塞感や死の影は、第一次世界大戦の勃発によって現実のものとなり、ヨーロッパは未曾有の惨禍に見舞われることになります。