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マンのヴェニスに死すが扱う社会問題

マンのヴェニスに死すが扱う社会問題

美と芸術の欺瞞性

   主人公のアッシェンバッハは、かつては理性と節制を重視する古典主義的な芸術観を持つ老作家でした。しかし、ヴェニスで出会った美少年タッジオに異常なまでの執着を抱くようになります。この執着は、アッシェンバッハがそれまで信奉してきた理性や道徳、そして芸術の規範すらも揺るがすものでした。彼は、タッジオの美しさという官能的な魅力に抗えず、創作意欲を喪失し、精神的に堕落していく様子が描かれます。

   これは、芸術が真に高潔なものであるか、それとも人間の弱さや欲望を反映したものなのかという問いを投げかけています。アッシェンバッハの姿は、美しさや芸術の陶酔的な側面の裏に潜む、危険なまでの魅力と、それがもたらす破滅を描いていると言えるでしょう。

近代社会における個人と社会の対立

   アッシェンバッハは、社会的な成功を収めた芸術家である一方、私生活では妻に先立たれ、孤独を抱えています。彼は厳格な規律と自己抑制を自分に課すことで、社会的な責任を果たそうとします。しかし、ヴェニスの自由な雰囲気とタッジオへの激しい恋情は、彼の中に抑圧された欲望を解き放ちます。

   これは、当時のヨーロッパ社会が抱えていた、個人と社会の対立を象徴しています。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、産業革命や都市化が進展し、人々は伝統的な価値観や共同体の束縛から解放されつつありました。それと同時に、個人主義的な思想が広まり、自己実現や自由を求める声が高まりました。しかし、その一方で、人々は伝統的な価値観との間で葛藤し、社会に馴染めない疎外感を抱くことも少なくありませんでした。

老いと死への恐怖

   老いゆく肉体と衰え行く精神力は、作品全体を通して重要なテーマとなっています。アッシェンバッハは、若く美しいタッジオに自身の老いを感じ、死への恐怖を募らせていきます。彼は老いを隠そうと化粧をし、若作りをしますが、それはかえって滑稽さを際立たせる結果となります。

   これは、人間であれば誰しもが経験する老いと死という普遍的なテーマと向き合っています。アッシェンバッハの姿は、老いへの不安や死への恐怖、そしてそれらと向き合う人間の弱さを見事に描き出しています。

疫病と退廃の象徴としてのヴェニス

   物語の舞台となるヴェニスは、かつての栄光を失いつつあり、コレラの流行によって退廃の影が忍び寄っています。美しい街並みとは裏腹に、街には不気味な雰囲気が漂い、死の影がつきまといます。アッシェンバッハは、そんなヴェニスの魅力に抗えず、危険を承知で街に留まり続けます。

   これは、当時のヨーロッパ社会が抱えていた閉塞感や不安を象徴しています。19世紀末、ヨーロッパでは産業革命の影響で資本主義が発展する一方で、貧富の格差や社会不安が広がっていました。ヴェニスは、そうした時代の不安や不確実性を象徴する場所として描かれています。

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