## マルクーゼのエロス的文明と時間
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時間に対する抑圧的脱昇華
マルクーゼは、フロイトの精神分析の理論を基盤に、現代社会における「抑圧的脱昇華」という概念を展開しました。 これは、性的なエネルギーである「リビドー」が、資本主義社会のシステムによって、労働や消費活動へと転換させられ、個人が本来持つ自由な発露が阻害されている状態を指します。
マルクーゼによれば、この抑圧的脱昇華は、時間の領域においても強く作用しています。 現代社会は、労働時間によって厳格に管理され、分断されています。 労働に従事するために必要な時間は、個人の自由な時間や休息時間を圧迫し、リビドーの自由な発露を制限します。 さらに、余暇時間においても、大量生産・大量消費のシステムは、画一的な娯楽や消費活動を提供することで、個人の自由な時間の使い方を規定し、リビドーをシステム維持のためのエネルギーへと転換させてしまいます。
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労働時間と余暇時間の二元論
マルクーゼは、現代社会における時間認識は、「労働時間」と「余暇時間」という二元論に支配されていると指摘します。 労働時間は、苦痛を伴うものであり、自由な時間である余暇時間のために耐え忍ばなければならない時間として認識されます。 このような時間認識は、労働そのものを疎外された活動として固定化し、個人が真の自由や幸福を追求することを阻害します。
マルクーゼは、真に解放された社会においては、労働と余暇の区別は意味を持たなくなると主張します。 労働は、自己実現や創造性を発揮する場となり、余暇時間は、労働によって消費されたエネルギーを回復するための時間ではなく、自由な創造活動や人間関係の構築に費やされる時間となります。
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エロス的文明における時間
マルクーゼは、抑圧的な資本主義社会を超克した未来社会として、「エロス的文明」を構想しました。 この社会では、リビドーの抑圧が撤廃され、個人が自由で創造的な活動に従事することで、自己実現を達成することができます。
エロス的文明において、時間は、もはや外部から押し付けられるものではなく、個人が主体的にコントロールし、自由に創造活動に費やすことができるものとなります。 労働と余暇の区別は消滅し、全ての時間が、個人が自己実現と幸福を追求するための時間となるのです。