マルクス/エンゲルスのドイツ・イデオロギーが扱う社会問題
1. イデオロギー批判と唯物史観
マルクスとエンゲルスは、当時のドイツ思想界を席巻していたヘーゲル哲学とその亜流を「観念論」と批判し、歴史や社会を動かすのは観念ではなく、物質的な生産活動だと主張しました。これが唯物史観の骨子です。彼らは、人間は生きていくためにまず衣食住を確保しなければならないとし、そのための生産活動こそが歴史の原動力であると考えました。
彼らはこの考えに基づき、人間は生産活動を行うために互いに協力し、生産関係を築き上げていくと説明します。そして、この生産関係が社会構造の基盤をなし、政治体制や法律、道徳、宗教、芸術といった観念形態をも規定していくと論じました。つまり、社会のあり方を決定づけるのは、人々の頭の中にある観念ではなく、物質的な生産活動や経済構造であると考えたのです。
マルクスとエンゲルスは、当時のドイツ思想界を支配していた観念論を、「現実の社会矛盾から目を背け、空虚な議論に終始している」と厳しく批判しました。そして、現実の社会問題を解決するためには、物質的な生産活動とそれに伴う階級闘争という現実を直視しなければならないと主張したのです。
2. 分業と疎外
マルクスとエンゲルスは、資本主義社会における労働の分業が、人間を疎外する主要な原因であると分析しました。分業は労働の効率性を高める一方で、労働者を単純作業に縛り付け、創造性を奪うと彼らは考えました。
さらに、資本主義社会では、労働者自身が生産した商品が、資本家の所有物となり、労働者から分離されてしまう「生産物からの疎外」が生じると指摘しました。労働者は自分の労働の成果を享受できず、賃金という形で一部を受け取るに過ぎません。
また、労働者は労働過程においても、自分の意思や能力を発揮することができず、まるで機械の一部のように扱われる「労働過程からの疎外」にも苦しめられます。労働は本来、人間にとって自己実現の場であるはずですが、資本主義社会では、労働は苦痛を伴う疎外された活動へと変質してしまうのです。
3. 私有財産と階級闘争
マルクスとエンゲルスは、歴史を貫く動力として「階級闘争」を挙げました。彼らは、社会は常に生産手段を所有する支配階級と、それを所有しない被支配階級に分かれており、両者の間には対立が生じると考えました。
資本主義社会においては、資本家階級と労働者階級の対立が鮮明化します。資本家は生産手段を私的に所有し、労働者は自分の労働力を資本家に売って賃金を得るしかありません。資本家は利潤の最大化を追求するため、労働者の賃金をできるだけ低く抑えようとします。その結果、労働者は貧困に苦しみ、社会全体の富は一部の資本家に集中していくとマルクスたちは指摘しました。
彼らは、このような資本主義社会の矛盾は、労働者階級が革命によって生産手段を私有から解放し、共産主義社会を実現することによってのみ解決されると考えました。共産主義社会では、生産手段は社会全体のものとなり、階級対立は解消され、すべての人々が平等に労働し、その成果を分かち合う理想的な社会が実現すると彼らは構想しました。