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マリノフスキの西太平洋の遠洋航海者の原点

## マリノフスキの西太平洋の遠洋航海者の原点

マリノフスキの関心の原点

ブローニスワフ・マリノフスキは、1884年にポーランドのクラクフで生まれました。若き日のマリノフスキは、物理学と数学を学び、科学的な思考法を身に着けました。その後、人類学という未知の分野に足を踏み入れたのは、「西太平洋の遠洋航海者」として知られることになるメラネシアの人々への強い興味がきっかけでした。

ジェームズ・フレイザーの影響

マリノフスキが人類学の道に進む決定的な転機となったのは、人類学の古典と言えるジェームズ・フレイザーの著書「金枝篇」との出会いです。未開社会における呪術や宗教の起源を論じたこの本は、マリノフスキに深い感銘を与え、彼自身の研究テーマをメラネシアの人々の社会構造と文化に定める大きな動機付けとなりました。

トロブリアンド諸島での調査

第一次世界大戦の勃発により、オーストリア=ハンガリー帝国の市民であったマリノフスキは、敵国人としてオーストラリアに抑留されることになります。しかし、彼はこの状況を逆手に取り、1915年から1918年にかけて、パプアニューギニアのトロブリアンド諸島で長期にわたるフィールドワークを実施しました。

参与観察の手法

マリノフスキは、従来の進化主義的な人類学の枠組みを超え、現地の人々の生活に深く入り込み、彼らの言語や文化を理解しようと努めました。彼は、長期滞在と現地語の習得を重視し、人々の日常生活を詳細に記録する「参与観察」という画期的な調査手法を確立しました。

ククラの交換システム

マリノフスキの最も重要な発見の一つに、トロブリアンド諸島で行われていた「ククラ」と呼ばれる貝殻の交換システムがあります。彼は、ククラの交換が単なる経済活動ではなく、社会的な地位や権力関係、そして文化的な価値観と密接に結びついていることを明らかにしました。

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