マキャヴェッリの君主論の対極
プラトンの「国家」:理想国家と哲王による統治
マキャヴェリの『君主論』が権力獲得・維持のための現実的な戦略を論じたのに対し、プラトンの『国家』は、正義と徳に基づく理想国家のあり方を追求した作品です。
『国家』でプラトンは、ソクラテスを語り手として、正義とは何か、そして正義を実現する理想国家の統治体制について対話を展開します。プラトンは、人間の魂と同じく、国家も「知恵」「勇気」「節制」の三つの徳を持つべきだと考えます。そして、これらの徳をそれぞれ体現する「哲王」「軍人」「生産者」の三つの階層から成る国家こそが理想的な姿だと説きます。
特に重要なのが、国家の最高指導者である「哲王」の存在です。プラトンにとって、真の知識である「イデア」を認識できる哲学者こそが、国家を正しく統治するのにふさわしい存在でした。哲王は、私利私欲にとらわれず、国家と民衆全体の幸福を追求する理想的な統治者として描かれています。
孟子の「性善説」:仁義に基づく徳治政治
マキャヴェリが冷酷な現実主義に基づいて君主の行動規範を説いたのに対し、古代中国の思想家・孟子は、人間に本来備わる善性に基づく「徳治政治」を理想としました。
孟子は、人間は生まれながらにして「仁」「義」「礼」「智」という四つの心の芽である「四端」を持っていると主張しました。そして、この「四端」を育成し、「仁」を拡充していくことが、道徳的に正しい行為であると説いたのです。
政治においても、孟子は武力や策略ではなく、為政者の徳によって民衆を感化し、統治する「王道」を理想としました。君主は、民衆を苦しめることなく、その生活を豊かにし、教育を施すことで、民衆から自然と信服と尊敬を集めるべきだと考えたのです。
トマス・モアの「ユートピア」:私有財産のない平等社会
権力闘争の現実を描いた『君主論』とは対照的に、トマス・モアは『ユートピア』の中で、私有財産や社会的不平等が存在しない理想社会を描きました。
モアは、当時のヨーロッパ社会が抱える貧富の格差や社会矛盾を批判し、その解決策として「ユートピア」という架空の島国を提示します。ユートピアでは、土地や財産はすべて共有され、貨幣経済は存在しません。人々は労働の義務を果たし、必要なものを必要なだけ平等に分配されます。
また、ユートピアでは宗教的寛容が認められ、職業選択の自由も保障されています。モアは、このような理想社会を実現するためには、人間の理性と協調性に基づいた社会制度が必要であると訴えました。