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マイネッケの近代史における国家理性の理念のメカニズム

マイネッケの近代史における国家理性の理念のメカニズム

1.はじめに

 フリードリヒ・マイネッケは、その主著『ドイツにおける歴史主義と歴史記述』(1936年)において、近代史を「国家理性の時代」と規定しました。彼の思想の中核をなすこの概念は、歴史学のみならず、政治学、哲学など多岐にわたる分野に影響を与えてきました。本稿では、マイネッケの思想体系における「近代史における国家理性の理念」のメカニズムについて、詳細に検討していきます。

2.国家理性の概念

 マイネッケにおいて、「国家理性」は、個々の国家が歴史の中で形成してきた独自の伝統、文化、国民性などを基盤とした、普遍的な理性とは異なる個別具体的な理性を指します。彼は、各国家がそれぞれの歴史的発展の過程で培ってきたこの「国家理性」こそが、政治や社会のあり方を決定づける根本的な力であると主張しました。

3.近代史における国家理性の展開

 マイネッケは、近代という時代を、この「国家理性」が歴史の表舞台に登場し、その力を存分に発揮する時代と捉えました。彼は、近代以前の中世社会においては、宗教や身分制度といった普遍的な価値観が支配的であり、個々の国家の独自性は抑圧されていたと分析します。しかし、宗教改革やルネサンスといった大きな転換を経て、中世的な秩序が崩壊していく中で、個々の国家はそれぞれの「国家理性」に基づいた独自の国家形成を進めていくことになります。

4.国家理性と権力国家

 マイネッケは、近代国家の形成過程において、「国家理性」は、単なる理念的な存在ではなく、現実の政治権力と密接に結びついていたことを強調します。彼は、近代国家を「権力国家」(Machtstaat)と呼び、その特徴として、国内的には強力な中央集権体制を確立し、対外的には他の国家との競争を勝ち抜くための軍事力を強化していく点を挙げます。そして、この「権力国家」の形成を推進する原動力となったのが、まさに「国家理性」であったとマイネッケは主張します。

5.歴史における国家理性の諸相

 マイネッケは、「国家理性」を静的で一様な概念として捉えるのではなく、歴史の中で絶えず変化し、多様な形態をとりうるものと理解していました。彼は、各国家の「国家理性」は、それぞれの歴史的経験や置かれた国際環境によって、その内容や現れ方が大きく異なることを指摘しています。例えば、イギリスの「国家理性」は、議会政治や自由主義といった価値観と結びつき、フランスの「国家理性」は、中央集権的な官僚制や国民国家の理念と結びついて発展しました。

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