## マイネッケの歴史主義の成立の評価
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成立過程と当時の評価
マイネッケの主著『歴史主義の成立』(1861)は、当時の学界からは大きな反響を得られず、必ずしも正当に評価されたとは言えません。これは、マイネッケが本書で展開した歴史主義批判が、当時のドイツにおける支配的な思想潮流であったヘーゲル主義やロマン主義の立場と真っ向から対立するものであったこと、そして、その批判の矛先が、当時の学問界の重鎮たち、例えばランケやサヴィニーといった歴史家たちに向けられていたことが大きく影響しています。
マイネッケは、ヘーゲル主義的な思弁哲学が歴史を理念の展開過程として捉え、歴史の中に必然的な法則性を見出そうとすることに対して、強い批判を表明しました。彼は、歴史は個性的で一回的な出来事の連続であり、そこには普遍的な法則など存在しないと考えました。また、ロマン主義が歴史を感情移入の対象とし、過去への憧憬を表明することに対しても、マイネッケは冷ややかな視線を向けています。彼は、歴史家は過去の出来事を客観的に分析し、その因果関係を明らかにするべきであり、感情移入は歴史研究の妨げになると考えました。
このようなマイネッケの批判的態度は、当時の学界からは反発と疎外を生み出す要因となりました。特に、ランケやサヴィニーといった歴史家たちは、ヘーゲル主義やロマン主義の影響を強く受けながら、それぞれの歴史観を構築していました。そのため、マイネッケによる彼らの歴史観に対する批判は、当時の歴史家たちにとって受け入れがたいものであったと考えられます。
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後世における再評価
しかしながら、『歴史主義の成立』は、20世紀に入ると徐々に再評価されるようになります。特に、第一次世界大戦後のドイツにおいては、マイネッケの歴史思想は大きな影響力を持つようになりました。これは、大戦の敗北によってドイツ国民が深い挫折感を味わい、それまでの楽観的な歴史観が崩壊したことが背景にあります。
マイネッケは、歴史は進歩ではなく、むしろ後退や停滞もあり得るとする、より現実的な歴史観を提示していました。また、彼は、歴史家は政治的な立場やイデオロギーから自由であるべきだとする、歴史研究における客観性の重要性を強調していました。このようなマイネッケの歴史思想は、大戦後のドイツにおいて、新たな歴史観を構築するための指針として受け止められたのです。
20世紀後半に入ると、マイネッケの歴史思想に対する批判も現れてきました。特に、ポストモダニズムの思想家たちは、マイネッケが主張した歴史研究における客観性という概念そのものに疑問を呈しています。彼らは、歴史家はそれぞれの立場や視点によって歴史を解釈しており、完全に客観的な歴史記述など不可能であると主張しています。
このように、マイネッケの『歴史主義の成立』は、時代や立場によってその評価が大きく変化してきた作品です。しかしながら、本書が西洋における歴史主義の系譜を批判的に検討し、歴史研究における客観性の問題を提起したという点において、その歴史的な意義は極めて大きいと言えるでしょう。