Skip to content Skip to footer

マイネッケの歴史主義の成立の仕組み

## マイネッケの歴史主義の成立の仕組み

### 1.ランケ史学との関係は?

マイネッケの歴史主義は、しばしばランケの影響下にあるとされます。確かに、両者は史料批判を重視し、客観的な歴史記述を目指した点で共通しています。しかし、マイネッケはランケが提唱した「個々の時代はその時代なりに神の前に正しい」という立場を批判的に継承しています。

ランケは、あらゆる時代はそれぞれ独自の価値観や理念を持つため、現代の価値観で過去を評価すべきではないと考えました。一方、マイネッケは、歴史は個々の時代の積み重ねによって成り立っており、それぞれの時代は相互に影響を与え合っていると捉えました。そのため、彼は歴史を「個体的」なものと見なし、歴史の連続性と発展を重視しました。

### 2.個体概念と歴史法則の関係は?

マイネッケは、歴史を「個体」として捉えることで、歴史には固有の法則性があると主張しました。彼は、国家や国民といった歴史的主体を「個体」と見なし、それぞれの個体は他の個体と相互作用しながら、独自の「個体理念」を実現しようと発展していくと考えました。

マイネッケは、個体理念の実現過程において、個体同士の葛藤や闘争は避けられないものと捉えました。しかし、彼は同時に、こうした闘争を通じて歴史は発展していくとも考えました。彼は、歴史における個体間の相互作用を分析することで、歴史法則を発見できると考えました。

### 3.政治との関係は?

マイネッケの歴史主義は、当時のドイツの政治状況とも深く関わっていました。19世紀後半のドイツは、プロイセン主導で統一が実現しましたが、依然として国内は諸勢力が対立する状況にありました。

マイネッケは、こうした状況下で、歴史研究を通じて国民国家の形成を促進しようとしました。彼は、ドイツの歴史を「国民国家形成への道」として捉え直し、国民に共通の歴史認識を植え付けようとしました。彼の歴史主義は、結果として、ドイツのナショナリズムの高まりに貢献した側面も否定できません。

### 4.歴史主義の方法論とは?

マイネッケの歴史主義は、単なる歴史観ではなく、具体的な方法論を伴っていました。彼は、歴史研究において以下の3点を重視しました。

* **史料批判**: ランケと同様に、史料の信頼性を厳密に検証することを重視しました。
* **解釈**: 史料の背後にある歴史的事実や因果関係を解釈することを重視しました。
* **総合**: 個々の史実を総合し、歴史全体を体系的に理解することを重視しました。

彼は、これらの方法論を用いることで、歴史の客観的な認識が可能になると考えました。

以上が、マイネッケの歴史主義の成立の仕組みについての解説です。

Amazonで詳細を見る
読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

Leave a comment

0.0/5