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ボワソナードの刑法草案註解から学ぶ時代性

ボワソナードの刑法草案註解から学ぶ時代性

ボワソナードと近代日本における法典編纂

 明治初期、日本は近代国家建設のため、西洋諸国の法制度を参考に法典編纂を進めていました。その中心人物の一人が、フランス人法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナードでした。彼は1873年に来日し、司法省の法律顧問として10年以上にわたり、日本の法整備に尽力しました。

刑法草案註解に見る西洋法の移植と日本社会

 ボアソナードは、フランス刑法典を模範とした「刑法草案」と、その詳細な解釈を記した「刑法草案註解」を起草しました。これらの著作は、近代刑法の理念、すなわち罪刑法定主義や責任主義といった概念を日本に導入する上で大きな役割を果たしました。

 しかし、ボアソナードの草案は単なる西洋法の模倣ではありませんでした。彼は日本社会の伝統や慣習を深く理解しようと努め、その上で日本の実情に適合した法体系の構築を目指しました。

家族と名誉に関する規定に見る日本社会への配慮

 例えば、家族と名誉に関する規定に見られるように、ボアソナードは当時の日本社会における家父長制的な家族観や、名誉を重視する倫理観を考慮し、西洋法の原則を修正しています。具体的には、尊属殺人に関する規定を設けたり、名誉毀損罪を広く規定したりすることで、伝統的な価値観と近代法の調和を図ろうとしました。

時代背景と限界

 ボアソナードの刑法草案は、最終的に日本の刑法典としては採用されませんでしたが、その後の日本の法整備に大きな影響を与えました。彼の草案は、単なる西洋法の移植ではなく、日本の伝統と近代法の融合を目指したものであり、その試みは今日の日本の法体系にも息づいています。

 一方で、ボアソナードの草案は、当時の時代背景を色濃く反映したものであり、現代の視点から見ると、その限界も指摘されています。例えば、家父長制的な家族観に基づく規定や、言論の自由を制限する可能性のある名誉毀損罪の規定などは、現代社会においては再検討が必要とされています。

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