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ホールのアメリカ史の解釈の原点

ホールのアメリカ史の解釈の原点

アメリカ史における「解釈」の隆盛とホールの位置づけ

20世紀初頭、アメリカの歴史学界では、史料批判に基づいた客観的な歴史記述を目指す「進歩主義史学」が主流でした。しかし、第一次世界大戦後の1920年代に入ると、歴史家自身の主観や視点が歴史記述に影響を与えるという「相対主義」的な歴史観が台頭し始めます。これは、ヨーロッパで興隆したニーチェやベルクソンなどの思想の影響を受けたものでした。

こうした流れの中で、チャールズ・オースティン・ベアードやカール・ベッカーといった歴史家たちは、それまでの「客観的な歴史」という概念に疑問を呈し、歴史家自身の価値観や時代背景が歴史記述に影響を与えることを明確に主張しました。彼らは、歴史は「解釈」によって成り立つものであり、歴史家は自らの解釈に基づいて歴史を叙述すべきだと考えました。この新しい歴史観は「進歩主義史学」と対比して「解釈主義史学」と呼ばれることもあります。

フレデリック・ジャクソン・ターナーに師事し、西洋史を専門としていたホールは、こうしたアメリカ史学界の潮流を横目に、独自の視点からアメリカ史研究に取り組みます。彼の歴史観は、ヨーロッパ史、特に多様な文化がせめぎ合う中世ヨーロッパ史研究の影響を強く受けていました。ヨーロッパ史研究で培われた視点は、その後のアメリカ史研究においても独自性を発揮し、従来のアメリカ史像に一石を投じるものとなります。

ホールのアメリカ史解釈の特徴:ヨーロッパ史との比較

ホールは、アメリカの歴史をヨーロッパの歴史との関連で捉え、ヨーロッパにおける中世から近代への歴史的展開を踏まえることで、アメリカ史の独自性を浮かび上がらせようとしました。彼は、アメリカの歴史をヨーロッパ文明の延長線上ではなく、ヨーロッパとは異なる独自の「アメリカニズム」として捉えるべきだと主張しました。

具体的には、ホールは、植民地時代から18世紀後半にかけてのアメリカ社会が、ヨーロッパの中世社会と類似した構造を持っていたと指摘しました。当時のアメリカでは、広大な土地と豊富な資源を背景に、封建制的な社会構造や身分制度が存在し、人々は伝統的な価値観や慣習に縛られていました。

しかし、18世紀後半に入ると、アメリカ社会はヨーロッパとは異なる道を歩み始めます。アメリカ独立革命やそれに続く民主主義の発展は、ヨーロッパの近代化とは異なる独自の「アメリカニズム」を生み出す原動力となりました。ホールは、アメリカの歴史を単なるヨーロッパ文明の延長線上としてではなく、ヨーロッパとの比較を通じて、その独自性を明らかにしようと試みたのです。

ただし、ホールのアメリカ史解釈は、ヨーロッパ中心主義的な偏見を含んでいるという批判もあります。彼は、アメリカ史をヨーロッパ史との比較で語ることを通じて、結果的にヨーロッパを基準とした歴史観から脱却しきれていないという指摘です。

ホールのアメリカ史解釈は、その後のアメリカ史研究に多大な影響を与え、現在に至るまで様々な議論を巻き起こしています。

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