ホワイトヘッドの観念の冒険の表象
表象:観念の舞台とレンズ
ホワイトヘッドにとって、表象は単なる心的活動ではなく、世界と主体が織りなす関係性の根本をなす概念です。彼は、ロックやヒュームといった経験論者が前提とした「心の中での表象」という枠組みを批判的に検討し、世界の実在性と主体的な経験の双方を包括的に捉えられるような、より動的で関係的な表象概念を提示しようとしました。
ホワイトヘッドの議論において重要なのは、「実際の機会」と「永遠の客体」という二つの概念です。彼は、世界は絶え間なく生成変化する「実際の機会」の流れであり、それぞれの機会がそれ以前の機会の経験を取り込みながら、新たな現実を創造していくと捉えました。一方、「永遠の客体」は、具体的な形や性質を持つわけではありませんが、あらゆる実際の機会に潜在的に内在し、その実現可能性を規定するものです。
このような枠組みの中で、表象は「永遠の客体が実際の機会において現実化されるプロセス」として捉え直されます。 つまり、世界に存在するあらゆる要素は、それ自体として完結した実体ではなく、他の要素との関係性の中で絶えず意味と価値を変化させていく動的な存在です。表象とは、この動的な関係性の中で、特定の側面が前景化され、主体にとって意味あるものとして立ち現れてくるプロセスを指すのです。
表象のメカニズム:prehensionによる統合
では、具体的なレベルで、表象はどのようにして生じるのでしょうか?ホワイトヘッドはこの問いに対して、「prehension」という概念を用いて説明を試みます。Prehensionは、日本語では「把握」と訳されることもありますが、従来の受動的な知覚概念とは一線を画すものです。
ホワイトヘッドは、あらゆる実際の機会は、それ以前のすべての機会をprehentionを通して「感じ」、自らの内に取り込みながら新たな現実を構成していくと説明します。重要なのは、prehensionは単なる情報の受容ではなく、感情や価値判断を含む、能動的な「感じとり」のプロセスであるという点です。
このprehensionを通して、永遠の客体は具体的な文脈の中で現実化され、主体にとって意味あるものとして表象されます。例えば、私たちが「赤いリンゴ」を知覚する場合、そこには単に視覚情報が無色透明に伝達されているのではなく、過去の経験や感情、現在の状況、さらにはリンゴに対する潜在的な価値判断などが複雑に絡み合い、総合的な「赤いリンゴの経験」として構成されているのです。
表象の多層性:象徴的参照
ホワイトヘッドは、表象を「象徴的参照」という概念を用いてさらに深く分析しています。彼は、私たちが日常的に経験する表象は、単純な感覚データの積み重ねではなく、複数の段階を経て構成された、複雑な意味のネットワークであると指摘します。
象徴的参照は、「提示的段階」「命題的段階」「象徴的段階」という三つの段階から成り立っています。まず、「提示的段階」では、世界は断片的な感覚データとして現れます。例えば、「赤い丸い形」「甘い香り」「パリッとした食感」といった個別の感覚が、まだ相互に結びついていない状態です。
次に、「命題的段階」において、これらの感覚データは互いに関連付けられ、「赤い丸い形と甘い香りは同時に存在する」といった命題として統合されます。この段階では、まだ対象が「リンゴ」であるという認識は成立していません。
最後に、「象徴的段階」において、過去の経験や言語、文化的な文脈などが総動員されることで、命題は「これはリンゴである」という象徴的な意味を獲得します。このように、ホワイトヘッドは、表象は単線的なプロセスではなく、複雑な意味生成のネットワークを通じて構築されるものであることを明らかにしました。