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ホブスンの帝国主義論の対極

ホブスンの帝国主義論の対極

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帝国主義擁護論

ホブソンの『帝国主義論』(1902年)は、帝国主義を資本主義の必然的な帰結として批判的に分析した画期的な著作であり、その影響はレーニンなど後世の思想家にまで及んでいます。しかし、歴史にはホブソンの見解とは全く異なる視点から帝国主義を擁護し、その正当性を主張する論説も数多く存在しました。

帝国主義を擁護する論説は、単一の著作によって代表されるものではなく、時代や地域、論者の立場によって多様な形態をとりました。

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「文明化の使命」と帝国主義

19世紀後半、ヨーロッパ列強による植民地支配がピークを迎える中で広く支持を集めたのが、「文明化の使命」という考え方です。これは、ヨーロッパ文明を世界最高のものとみなし、非ヨーロッパ世界にその恩恵を施すことはヨーロッパ人の義務であるとする信念でした。

この考え方は、しばしば宗教的な使命感と結びつき、キリスト教の布教を正当化する根拠としても用いられました。また、科学技術や医療、教育といった分野におけるヨーロッパの進歩を強調し、それらを非ヨーロッパ世界にもたらすことは進歩と発展につながると主張されました。

「文明化の使命」は、植民地支配を正当化する都合の良い論理として利用された側面は否定できません。しかし、その一方で、医療や教育の普及など、実際に植民地の人々の生活向上に貢献した側面も存在したことは事実です。

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経済的利益と帝国主義

ホブソンが鋭く指摘したように、帝国主義の背景には、経済的な利益の追求という側面が色濃く存在しました。植民地は、宗主国にとって資源の供給源であると同時に、工業製品の市場としても重要な役割を果たしました。

帝国主義を擁護する論者は、このような経済的な側面を積極的に評価しました。彼らは、帝国主義によって世界経済が活性化し、貿易の拡大を通じて世界全体が豊かになると主張しました。

また、植民地への投資は、宗主国における雇用創出や産業の発展にもつながるとされました。特に、イギリスでは、植民地への投資が経済成長の重要なエンジンであったことは事実であり、帝国主義は国民経済にとっても不可欠な要素とみなされていました。

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戦略的要衝と帝国主義

帝国主義は、単に経済的な利益だけを追求したものではありませんでした。国際社会における競争が激化する中で、軍事的な観点から植民地の重要性がますます高まりました。

植民地は、艦隊の拠点や補給基地として、また、陸軍の駐屯地としても戦略的に重要な意味を持ちました。特に、スエズ運河やパナマ運河といった海上交通の要衝を確保することは、列強にとって死活問題であり、その周辺地域への進出は国家の存亡をかけた争奪戦となりました。

帝国主義を擁護する論者は、国際的な緊張が高まる状況において、自国の安全保障を確保するためには、積極的に植民地を獲得し、軍事力を強化することが必要であると主張しました。

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