## ホブスンの帝国主義論の原点
ホブソンの生い立ちと社会背景
ジョン・アトキンソン・ホブソン(John Atkinson Hobson, 1858-1940)は、イギリスの経済学者、社会批評家です。彼は1858年、イギリス中部のダービーシャー州に生まれました。当時、イギリスはヴィクトリア朝時代
の最盛期にあり、世界中に広大な植民地を持つ「太陽の沈まぬ国」として君臨していました。しかし、国内では産業革命の進展に伴い、貧富の格差が拡大し、スラム街の形成や労働問題など、さまざまな社会問題が発生していました。
ジャーナリストとしての経験
オックスフォード大学卒業後、ホブソンは教師として働いた後、ジャーナリストに転身します。彼はマンチェスター・ガーディアン紙やスコッツマン紙などで記事を執筆し、社会問題や経済問題について積極的に発言しました。ジャーナリストとしての活動を通して、ホブソンはイギリス社会の矛盾や帝国主義の現実を目の当たりにすることになります。
ボーア戦争と帝国主義への批判
1899年から1902年にかけて、イギリスは南アフリカでボーア戦争を戦いました。当初、この戦争はイギリス国民の間で広く支持されていましたが、長期化するにつれて、その残虐性や巨額の戦費が問題視されるようになります。ホブソンはボーア戦争を批判し、その背景には経済的な動機、すなわち資本主義の過剰な発展と投資機会の不足があると主張しました。
『帝国主義論』の出版
1902年、ホブソンは自身の帝国主義批判の集大成として、『帝国主義論』を出版します。この著作の中で彼は、帝国主義の根本原因は、資本主義経済における過剰な貯蓄と投資機会の不足にあると論じました。彼の主張は、後にレーニンの帝国主義論にも影響を与えるなど、大きな反響を呼びました。
経済学以外の影響
ホブソンの帝国主義論は、経済学以外の分野からも大きな影響を受けています。例えば、彼は社会心理学者のギュスターヴ・ル・ボンの群集心理に関する研究を引用し、帝国主義を大衆の感情に訴えかけることで、国民の支持を得ようとする支配階級の策略であると批判しました。