## ホブスンの帝国主義論に関連する歴史上の事件
イギリスの経済学者ジョン・A・ホブソンは、1902年に出版した著書『帝国主義論』において、帝国主義を資本主義の必然的な帰結として鋭く批判しました。ホブソンは、帝国主義は少数の資本家の利益のために、大多数の人々に犠牲を強いるものであると主張しました。
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イギリスによるインド支配
ホブソンの帝国主義論は、彼がジャーナリストとして1899年から1900年にかけて南アフリカでボーア戦争を取材した経験に大きく影響を受けています。しかし、彼の分析は、イギリスによるインド支配という、より広範な歴史的文脈の中に位置づけることができます。
18世紀半ばから、イギリス東インド会社は徐々にインドの政治・経済を支配下に置き、莫大な利益をイギリスにもたらしました。しかし、この富はイギリス社会全体に平等に分配されたわけではありませんでした。むしろ、一部の資本家や地主層に集中し、貧富の格差を拡大させました。
ホブソンは、このような状況を「過剰資本」と「過少消費」という概念を用いて説明しました。資本主義経済においては、資本家は常に利潤の最大化を目指して生産を拡大しようとします。しかし、国内市場の購買力が不足している場合、この過剰な生産物は売れ残り、経済は危機に陥ります。
このような状況を打開するために、資本家は新たな市場と投資先を求めて海外進出に乗り出すようになります。これが、ホブソンが帝国主義と呼んだ現象です。イギリスにとって、インドはまさにその格好の対象でした。イギリスはインドに安価な工業製品を輸出し、原材料を輸入することで、国内の過剰生産と過少消費の問題を解決しようとしたのです。
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19世紀後半のアフリカ分割
ホブソンの帝国主義論は、19世紀後半にヨーロッパ列強によって行われたアフリカ分割にも当てはまります。この時代、ヨーロッパ諸国は、産業革命の進展に伴い、原材料の確保と市場の拡大を目的として、競ってアフリカに進出しました。
ホブソンは、アフリカ分割は、ヨーロッパ資本主義の構造的な問題である「過剰資本」と「過少消費」を解決するための手段として行われたと主張しました。ヨーロッパ諸国は、アフリカを植民地にすることで、国内の過剰な資本を投資し、安価な労働力と豊富な資源を搾取することができたのです。
しかし、ホブソンは、このような帝国主義的な政策は、長期的には世界経済を不安定化させ、戦争の危険性を高めると警告しました。実際、アフリカ分割は、ヨーロッパ列強間の競争を激化させ、第一次世界大戦の遠因の一つとなりました。
ホブソンの帝国主義論は、資本主義と帝国主義の関係を明らかにした画期的な業績として高く評価されています。彼の分析は、現代の帝国主義批判にも通じる重要な視点を提供しています。