## ホッブズのリヴァイアサンの光と影
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リヴァイアサンの光
ホッブズの『リヴァイアサン』は、その刊行当時から現代に至るまで、政治哲学の金字塔として、また物議を醸す書物として、多大な影響を与え続けています。 特に、自然状態における「万人の万人に対する闘争」という過酷な描写を背景に、絶対的な主権者による秩序の必要性を説いた点は、近代国家のあり方を考える上で重要な視座を提供しています。
リヴァイアサンの光と呼べる側面として、まず挙げられるのは、その徹底した合理主義に基づく論理展開です。 ホッブズは、当時の宗教的な権威や伝統的な道徳観念に依拠することなく、人間の自然本性から出発し、社会契約論によって国家の起源と正当性を論証しました。 この論理的な思考方法は、それまでの政治思想に大きな転換をもたらし、近代的な政治思想の礎を築いたといえます。
さらに、リヴァイアサンは、個人の権利と自由の重要性を明確に主張している点も評価されています。 ホッブズは、自然状態においてはあらゆる個人が生存と自由を追求する権利を持つと主張しました。 そして、社会契約によって国家が成立した後も、個人の権利は主権者の権力によって不当に侵害されるべきではないと論じています。
また、リヴァイアサンは、法の支配の重要性を強調している点も重要です。 ホッブズは、絶対的な主権者といえども、自らが定めた法に従う義務があると主張しました。 このことは、恣意的な支配を排除し、政治権力の行使を一定のルールに基づいて行うことの重要性を示しており、近代立憲主義の先駆的な思想と評価されています。
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リヴァイアサンの影
リヴァイアサンは、その先見性と論理的な明晰さにもかかわらず、その主張の過激さや、現代の視点からは受け入れがたい側面も持ち合わせています。 特に、絶対的な主権者を擁護し、個人の自由を著しく制限する可能性を孕んでいる点は、大きな批判の対象となってきました。
リヴァイアサンの影としてまず挙げられるのは、絶対的な主権者に対する無条件の服従を要求している点です。 ホッブズは、主権者が個人の自由や権利を侵害する場合でも、反逆は許されないと主張しました。 これは、個人の尊厳や人権に対する意識の高まりとともに、現代社会では到底受け入れられない思想といえます。
さらに、リヴァイアサンは、主権者の権力を一元化し、分権や権力分使を否定している点も問題視されています。 ホッブズは、権力が分散されると対立や混乱が生じ、社会が再び「万人の万人に対する闘争」の状態に陥ると危惧しました。 しかし、現代の民主主義社会では、権力集中による弊害を防ぐため、立法・行政・司法の三権分立など、権力の分散と相互監視の仕組みが重要視されています。
また、リヴァイアサンは、宗教を国家の統制下に置くべきだと主張している点も、現代の政教分離の原則とは相容れないものです。 ホッブズは、宗教が社会の秩序を乱す要因になりうると考え、主権者が宗教的な事柄についても最終的な決定権を持つべきだと論じました。 しかし、現代社会では、信教の自由は基本的人権の一つとされており、国家が特定の宗教を優遇したり、宗教活動を制限したりすることは許されません。