ホッファーの大衆運動の表象
ホッファーの描く「大衆運動」とは?
エリック・ホッファーは、1951年に発表した著書「大衆運動の時代」の中で、20世紀初頭に台頭したファシズムや共産主義といった全体主義運動を分析し、「大衆運動」の特質を明らかにしようと試みました。ホッファーは、これらの運動が共通して、社会的に疎外され、不満を抱えた人々を大量に動員する点に着目し、彼らを「大衆」と呼びました。
「大衆」の特徴 – 不満と疎外感 –
ホッファーによれば、「大衆」を構成するのは、社会的な変化や混乱によって、従来の共同体や価値観を失い、不満や疎外感を抱えた人々です。彼らは、自分たちの境遇に不満を抱きながらも、具体的な解決策を見出せずにいます。そのため、現状を打破し、新たな秩序やアイデンティティを求めて、大衆運動に熱狂的に参加していくとされます。
大衆運動における「指導者」と「大義」の役割
ホッファーは、大衆運動が成功するためには、「指導者」と「大義」の存在が不可欠であると主張しました。カリスマ的な「指導者」は、大衆の不満や不安を代弁し、彼らを熱狂させ、運動に方向性を与えます。また、「大義」は、大衆に共通の目的意識と帰属意識を与え、運動への参加を正当化する役割を果たします。
大衆運動の持つ「行動様式」 – 狂信と暴力 –
ホッファーは、大衆運動の特徴として、その行動様式にも注目しました。彼は、大衆運動がしばしば、狂信的なまでの熱狂と暴力性を伴うことを指摘しています。これは、大衆が、運動への参加を通して、自己の不安や不満を解消しようとすると同時に、運動の成功によって、新たな秩序とアイデンティティを獲得しようとするためだと考えられます。
ホッファーの分析の限界
ホッファーの分析は、大衆運動の心理的な側面を鋭く捉えている一方で、社会構造や経済的な要因を軽視しているとの批判もあります。また、彼の理論は、大衆を常に受動的で、指導者に操られるだけの存在として描いている点も問題視されています。