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ホイジンガの中世の秋を読む前に

## ホイジンガの中世の秋を読む前に

1. なぜ中世なのか、なぜ「秋」なのか?

ヨハン・ホイジンガの『中世の秋』は、14世紀から16世紀のフランスとネーデルランドの文化を、中世の「秋」という比喩を用いて分析したものです。しかし、なぜ「中世」であり、なぜ「秋」なのでしょうか?

まず、「中世」という言葉自体があいまいな時代区分であることを認識する必要があります。一般的には5世紀から15世紀頃を指すとされますが、ホイジンガは12世紀から16世紀を「中世」と捉えています。これは、彼がこの時代を、後のルネサンスの「夜明け」に対する「夕暮れ」と捉えているからです。

そして、「秋」は、まさにその「夕暮れ」を象徴する言葉です。夏の活気を経て、冬に向かって静かに衰退していく季節。ホイジンガは、この時代の文化に、そのような「爛熟と衰退」の様相を見出しています。

2. 騎士道、恋愛、死の舞踏:ホイジンガが注目する文化

ホイジンガは、当時の文学、美術、音楽、祭礼、騎士道、恋愛観、死生観など、多岐にわたる文化現象を分析対象としています。特に、騎士道と恋愛、そして死に対する態度といったテーマは、彼の分析の中心をなしています。

騎士道は、中世社会における理想的な男性像を体現するものとして華々しく描かれてきましたが、ホイジンガは、その背後にある虚栄心や形式主義を見抜きます。華麗な騎士の物語は、現実の戦場における残虐性や騎士階級の没落を覆い隠すための虚構に過ぎなかったのかもしれない、という視点が提示されます。

宮廷恋愛もまた、騎士道と同様に、理想化された恋愛の形として描かれてきました。しかし、ホイジンガは、ここにも形式主義や現実との乖離を見出します。恋愛は一種のゲームであり、そこには本物の感情よりも、形式や儀礼が優先されるという側面があったことを指摘します。

そして、死に対する態度は、当時の文化を理解する上で重要な鍵となります。ペストの流行など、死が身近にあった時代において、人々は死をどのように捉え、どのように向き合っていたのか。ホイジンガは、当時の美術や文学作品における「死の舞踏」などのモチーフを分析することで、当時の死生観に迫っていきます。

3. ホイジンガの視点:文化史家、そして「遊び」の理論家

ホイジンガは、歴史家であると同時に、文化史、特に文化形態学の分野において重要な業績を残した学者です。彼は、歴史を単なる出来事の羅列として捉えるのではなく、文化というレンズを通して読み解こうとしました。

また、ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」、すなわち「遊ぶ人」という概念を提唱したことで知られています。彼は、人間の本質を「遊び」の中に見ていました。文化は、この「遊び」の精神から生まれてきたものであり、宗教、芸術、法律、戦争など、人間のあらゆる活動は、その根源において「遊び」の要素を持っていると考えたのです。

『中世の秋』を読む際には、ホイジンガのこのような視点、すなわち文化史家としての視点、「遊び」の理論家としての視点を意識することが重要になります。彼が、当時の文化現象をどのように分析し、どのような解釈を提示しているのか、注意深く読み解いていく必要があります。

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