ホイジンガの中世の秋の思想的背景
1. 19世紀末から20世紀初頭の時代背景
ホイジンガが「中世の秋」を著したのは1919年、第一次世界大戦後のことです。この時代は、それまでのヨーロッパ文明の価値観が大きく揺らいだ時代でした。大戦の惨禍は、進歩史観や理性への信頼を根底から覆し、西洋文明の未来に対する pessimism を広げました。ホイジンガ自身も大戦の影響を受け、文明の衰退と文化の危機という問題意識を抱くようになりました。
2. 文化史学とブルクハルトの影響
ホイジンガは、ランケに始まる実証主義的な歴史学ではなく、人間の文化や精神を重視する文化史学の立場をとっていました。中でも、スイスの歴史家ブルクハルトの影響は大きく、「イタリアにおけるルネサンスの文化」で示された、ルネサンスを中世からの「再生」ではなく、独自の文化として捉える視点は、「中世の秋」にも受け継がれています。ブルクハルトは、ルネサンス期に中世的な価値観が崩壊していく過程を「文化の衰退」として捉えていましたが、ホイジンガは、これを「文化の秋」という、より中立的な概念で捉え直そうとしました。
3. ロマン主義の影響
ホイジンガは、19世紀のロマン主義の影響も受けていました。ロマン主義は、理性や啓蒙主義への反動として、感情、想像力、中世への憧憬を重視する思想でした。ホイジンガもまた、中世の文化に、近代合理主義とは異なる、人間の感情や想像力が豊かに表現された世界を見出していました。特に、騎士道や宮廷文化に見られる華麗で遊戯的な側面は、「中世の秋」においても重要なテーマとなっています。
4. フロイトの精神分析の影響
「中世の秋」には、フロイトの精神分析の影響も指摘されています。ホイジンガは、中世末期の文化を、人間の深層心理に潜む不安や死への恐怖が表面化した現象として捉えました。これは、フロイトが提唱した、人間の意識下に抑圧された無意識の領域が、文化や芸術に影響を与えるという考え方に通じるものです。
5. オランダの歴史的背景
最後に、ホイジンガ自身の生きたオランダの歴史的背景も重要です。17世紀に黄金時代を築いたオランダは、18世紀以降、政治的にも経済的にも衰退し、国際的な影響力を失っていました。ホイジンガは、かつての栄光と現在の衰退との落差を意識しながら、「中世の秋」を執筆していたと考えられます。