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ホイジンガの「中世の秋」と言語

## ホイジンガの「中世の秋」と言語

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言語の豊かさと不安定さ

ホイジンガは、「中世の秋」において、14世紀から16世紀にかけての西ヨーロッパ文化を、
「中世」という壮大な時代の「秋」として捉え、その特徴を鮮やかに描き出しました。彼は、この時期の文化を理解する上で、言語が重要な役割を果たしていると捉えています。

ホイジンガは、当時の言語が豊かな表現力と多様性を持っていたことを強調します。ラテン語を基盤としながらも、各地で様々な方言や俗語が発展し、文学、詩歌、演劇など、多様な表現を生み出しました。しかし同時に、この言語の豊かさは、不安定さと表裏一体の関係にありました。

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言葉の遊戯性と象徴性

当時の社会では、言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、現実と幻想、聖と俗、生と死といった、様々な対立する概念を結びつける、象徴的な意味を帯びていました。言葉は、儀礼や儀式の中で重要な役割を果たし、人々の生活に深く浸透していました。

ホイジンガは、このような言語のあり方を「遊戯性」という言葉で表現しています。言葉遊びや駄洒落、寓意や象徴表現が横行し、言葉そのものが、現実を超越した世界へと誘う力を持っていたのです。

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言語の変容と「秋の意識」

しかし、14世紀以降、ペストの流行や百年戦争などの社会不安、そしてルネサンスの萌芽といった時代の変化とともに、言語にも変容が見られるようになります。各地で標準語が形成され、ラテン語の権威は失墜し始めます。

ホイジンガは、このような言語の変容を「秋の意識」と結びつけます。かつての豊かな表現力は衰退し、言葉は次第に現実的な意味に限定されていきます。これは、中世の文化が終わりを迎え、新しい時代へと移り変わっていくことを象徴していると言えます。

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