ヘーゲルの歴史哲学講義の発想
ヘーゲルにおける歴史の捉え方
ヘーゲルにとって歴史とは、単なる過去の出来事の羅列ではなく、
「精神」(Geist)が自己実現に向かって発展していく過程と捉えられていました。
精神の弁証法的発展
ヘーゲルは、精神が自己実現に向かっていく過程を、
「弁証法」という運動法則を用いて説明しようとしました。
弁証法は、
「正」(テーゼ)、
「反」(アンチテーゼ)、
「合」(ジンテーゼ)
という3つの段階から成り立ちます。
まず、ある概念(正)が提起されると、
それに対する矛盾や対立として別の概念(反)が現れます。
そして、この対立は、
両者を統合したより高次の概念(合)を生み出すことで止揚されます。
この「合」は、
さらに高次の段階の「正」となり、
再び「反」「合」を生み出すという運動を繰り返しながら、
精神はより高次なものへと発展していくと考えました。
歴史における精神の顕現
ヘーゲルは、歴史はこのような精神の弁証法的発展の過程が、
現実の世界に現れ出たものだと考えました。
個々の歴史的出来事や、
そこに登場する英雄や国家は、
すべてこの精神の自己実現のための道具として位置づけられます。
自由の意識の進歩
ヘーゲルは、歴史における精神の自己実現を、
「自由の意識の進歩」と表現しました。
歴史の各段階において、
人々はそれぞれの時代に応じた自由の意識を獲得していきます。
例えば、古代ギリシャでは、
一部の市民のみが自由を享受していましたが、
キリスト教が世界宗教となる過程を経て、
すべての人間が精神において自由であるという意識が生まれてきました。
世界史における理性
ヘーゲルは、一見、
偶然や必然に支配されているように見える歴史も、
実は背後には「理性」が働いていると考えました。
歴史は、
この理性によって導かれ、
最終的には精神が完全に自己実現した状態、
すなわち「自由」と「理性」が完全に一致した理想社会が出現するとしました。
歴史の終焉
ヘーゲルは、
精神の自己実現、
すなわち「自由の意識」が完成した状態をもって歴史は終焉すると考えました。
そして、
ヘーゲルは自身の生きている時代である19世紀初頭のプロイセンを、
歴史の終焉に限りなく近い段階にあると見なしました。