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プラトンの国家の感性

## プラトンの国家の感性

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感覚と知覚

プラトンの『国家』において、感性(aisthēsis)は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった五感を介して、我々が世界を経験することを可能にする能力として描かれています。プラトンは、感性を二つの側面から捉えています。

まず、感性は、現実の世界における具体的な事物や現象を認識するための手段として機能します。例えば、美しい絵画を見たとき、我々は視覚を通じてその色彩や構図を認識し、それが美しいと感じます。

しかし、プラトンは感性には限界があると指摘します。感性は、あくまでも個別の、具体的な事物や現象を捉えるにとどまり、その背後にある普遍的なイデア(eidos)を認識することはできません。例えば、美しい絵画を見たとき、我々は視覚を通じて「この絵画は美しい」という認識を得ることはできますが、「美しさ」そのものを認識することはできません。

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感覚的対象とイデア

プラトンは、我々が感覚を通じて認識する事物は、真の実在であるイデアの単なる影に過ぎないと考えました。イデアとは、永遠不変の、真の知識の対象となるものです。例えば、「美しさ」のイデアは、個々の美しい事物とは独立に、それ自体として存在しています。

感性は、このイデアの世界を認識することを妨げる要因として描かれます。なぜなら、感性は常に変化し続ける感覚的対象に囚われ、永遠不変のイデアを認識することができないからです。

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洞窟の比喩

プラトンは、著書『国家』の中で有名な「洞窟の比喩」を用いて、感性と真の知識の関係を説明しています。この比喩において、洞窟の中に閉じ込められた人々は、外界の事物ではなく、その影のみを見て生きています。彼らにとって、影こそが現実であり、影に基づいて世界を理解しています。

しかし、あるとき、一人の囚人が洞窟から脱出し、太陽の光に照らされた真の世界を目の当たりにします。彼は、今まで自分が見てきた影が、単なる幻に過ぎなかったことに気づき、真の知識を得るのです。

この比喩において、洞窟内の影は、我々が感覚を通じて認識する事物に対応し、太陽の光に照らされた外界は、イデアの世界に対応しています。そして、洞窟から脱出した囚人は、感性を超越し、理性によってイデアの世界を認識した哲学者を象徴しています。

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感性の役割と限界

『国家』において、プラトンは感性を否定的に捉えているわけではありません。感性は、我々がこの世界を生きていく上で必要な能力です。しかし、プラトンは、真の知識を得るためには、感性を超越し、理性によってイデアの世界を認識することが不可欠であると主張しています。

プラトンは、感性を訓練することによって、イデアの世界に近づくことができるとも考えていました。例えば、音楽や数学、天文学といった学問は、感性を洗練させ、イデアの世界へと導くための重要な手段として位置づけられています。

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