## プラトンの国家の対極
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個人主義と自由を論じる名著
プラトンの『国家』は、理想的な国家体制として、統治者・守護者・生産者という身分制度を敷き、哲人王が統治する全体主義的な国家を描き出しています。そこで重視されるのは、国家の秩序と調和であり、個人の自由や権利は制限されます。
一方、『国家』の対極に位置する歴史的名著として挙げられるのは、個人主義と自由を論じる著作群です。
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ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』
19世紀イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルが1859年に発表した『自由論』は、個人の自由の重要性を説いた古典的名著です。ミルは、国家や社会による個人の自由への介入は、それが他者に危害を加える場合を除き、最小限にとどめられるべきだと主張しました。
『自由論』では、思想と表現の自由、行動の自由、結社の自由など、個人の自由が幅広く論じられています。ミルは、これらの自由は、個人の自己実現と社会の進歩にとって不可欠であると考えました。
『国家』が理想的な国家体制を構想したのに対し、『自由論』は個人の自由を最大限に尊重する社会を目指しており、両者は対照的な思想を提示しています。
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ジョン・ロックの『統治二論』
17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックが1689年に発表した『統治二論』も、個人の権利と自由を重視する社会契約論を展開しています。
ロックは、人間は生まれながらにして、生命、自由、財産に対する自然権を持っていると主張しました。そして、国家はこれらの自然権を保護するために人々が作り出したものであり、もし国家がその役割を果たさない場合は、人々は抵抗する権利を持つとしました。
『統治二論』は、近代立憲主義の基礎を築いた書物として知られており、個人の権利と自由を制限するような国家権力に対して、明確な歯止めをかける必要性を訴えています。
『国家』が哲人王による統治を理想としたのに対し、『統治二論』は権力分立や抵抗権といった仕組みにより、国家権力を制限することの重要性を説いており、両者は国家観において大きく異なります。