プラトンのメノンとアートとの関係
メノンにおける「知識とは何か」問題と徳の探求
プラトンの対話篇「メノン」は、ソケイテスとメノンという青年貴族の対話を通じて、「徳は教えられるか」という問題を探求する作品です。メノンは当初、徳の定義を問われても明確な答えを返せず、ソケイテスから「知識とは何か」という根源的な問いを突きつけられます。
想起説と「知識の不変性」
ソケイテスは、人が生まれながらにして魂にあらゆる知識を備えているという「想起説」を展開し、学習とは想起を促す行為であると主張します。この説は、幾何学の問題を用いた奴隷少年との問答を通して説明されます。少年は、ソケイテスの誘導により、自ら幾何学的な真理を発見していきます。ソケイテスは、この経験を通して、少年が生まれながらにして幾何学的な知識を潜在的に持っていたことを示唆し、想起説の妥当性を主張します。
徳と「真なる信念」の区別
「メノン」では、徳と単なる「正しい意見」との区別が重要な論点となります。ソケイテスは、真の徳は、単に正しい行動をとることではなく、その行動の根拠となる確固たる知識に基づいているべきだと主張します。彼は、正しい意見も有用ではありえますが、それは移ろいやすく、常に正しい行動を保証するものではないと指摘します。真の徳は、知識によって裏付けられた、揺るぎない信念として描かれます。
「メノン」におけるアート(テクネー)の位置づけ
「メノン」では、アート(テクネー)は、特定の分野における専門的な知識や技能を指し、医学、建築、彫刻などが例として挙げられています。ソケイテスは、これらのアートは、経験と訓練を通じて習得されるものであり、一定の規則や原理に基づいて実践されると指摘します。
徳はアートたりえるか
「メノン」では、徳がアートであるかどうかが議論されます。もし徳がアートであると証明できれば、徳は教えられるものということになります。しかし、ソケイテスは、徳の教師を見つけることができないという問題を提起し、徳が従来の意味でのアートとは異なる可能性を示唆します。