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プラトンのゴルギアスが扱う社会問題

## プラトンのゴルギアスが扱う社会問題

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弁論術の倫理と政治におけるその役割

プラトンのゴルギアスは、古代アテネ社会における弁論術の役割と、それが孕む倫理的問題を鋭く問いかける作品です。ソクラテスと、当時の高名な弁論家ゴルギアス、そしてその弟子ポロス、カリクレスとの対話を通して、弁論術の本質、正義と不正、快楽と善の関係などが深く掘り下げられます。

当時のアテネでは、弁論術は政治や裁判において大衆を説得し、影響力を行使するための強力な武器として認識されていました。雄弁な語り口は、真実を語るかどうかとは無関係に、聴衆を魅了し、自らの主張へと導く力を持っていました。ゴルギアスを始めとする弁論家たちは、自らの技術を駆使することで名声と富を得ており、それは当時のアテネ社会においてある種当然のこととして受け入れられていました。

しかし、ソクラテスはこのような弁論術のあり方に真っ向から疑問を呈します。彼は、弁論術を単なる言葉の技巧と捉え、真実に基づかない説得は、聴衆を欺き、誤った判断へと導く危険性を孕んでいると主張します。弁論家が自らの利益や名声のために巧みな言葉で人々を操ることは、真の正義を追求することとは相容れない行為であるとソクラテスは批判します。

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正義と不正、快楽と善の対立

ゴルギアスの中でソクラテスは、正義と不正、快楽と善といった対立概念を対比させながら、人間の生き方における倫理的な問題を提起します。弁論家たちは、不正を働いても巧みな弁舌で逃れることができれば、それは個人の利益になると主張します。

一方、ソクラテスは、不正を働くことは魂を腐敗させる行為であり、真の幸福を得るためには、例え苦痛を伴ったとしても正義を貫くべきだと説きます。彼は、真の善とは魂の健全さにあるとし、一時的な快楽よりも、魂の向上こそが人間にとって最も重要な価値であると訴えます。

ソクラテスと弁論家たちの対話は、当時のアテネ社会における道徳観、価値観を浮き彫りにすると同時に、現代社会にも通じる普遍的な問いを投げかけています。物質的な豊かさや社会的な成功を追い求めるあまり、倫理的な価値観が見失われていないか、私たち自身もまた、ソクラテスと同じ問いと向き合う必要があると言えるでしょう。

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政治における倫理と指導者のあり方

ゴルギアスは、単なる弁論術の是非を問う作品ではなく、政治における倫理や指導者のあり方についても深く考察しています。ソクラテスは、真の政治家とは、大衆に迎合して人気を得るのではなく、正しい知識と倫理観に基づいて、人々をより良い方向へと導く存在であるべきだと主張します。

当時のアテネでは、民主制の下で、弁論術を駆使して大衆の支持を得た人物が政治的な指導力を持ちました。しかし、ソクラテスは、大衆迎合的な政治は、人々の短絡的な欲望を満たすだけであり、真の意味で国家や社会を幸福に導くことはできないと批判します。

真の指導者とは、たとえ不人気であっても、正義を貫き、人々の魂を善へと導く勇気を持つ人物でなければならない、というソクラテスの主張は、現代の私たちにとっても重要な教訓を与えてくれます。

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