ブローデルの地中海の力
歴史叙述に革命を起こした大著
フェルナン・ブローデルの『地中海』は、1949年に発表された歴史学の記念碑的作品です。全3巻、1000ページを超える大著は、従来の歴史観に大きな転換をもたらしました。従来の歴史書が政治や戦争といった表面的な出来事を中心に記述してきたのに対し、ブローデルは地理や気候といった「長い時間」をかけた変化を重視し、地中海世界を一つの統合された空間として捉え直したのです。
「全体史」という壮大な試み
ブローデルは、歴史を「短い時間」「中くらいの時間」「長い時間」という3つの異なる時間軸で捉えるべきだと主張しました。「短い時間」は事件史であり、政治や戦争といった目まぐるしく変化する出来事を扱います。「中くらいの時間」は社会経済史の領域であり、数十年から数百年のスパンで社会構造や経済活動の変遷を考察します。そして「長い時間」は、地理や気候といった千年単位でほとんど変化しない要素が人間生活に与える影響を分析するものです。
『地中海』では、この「長い時間」を基軸に、地中海という地理的空間における人間の営みを包括的に描き出す「全体史」の試みがなされています。ブローデルは、地中海を囲む山脈や乾燥した気候といった地理的条件が、この地域に独特の文化や経済活動を生み出したことを指摘しました。また、海上交通や交易を通じて、地中海沿岸の様々な地域が密接に結びついていたことを明らかにしました。
膨大な資料と多様な視点
『地中海』のもう一つの特徴は、その圧倒的な情報量と多様な視点にあります。ブローデルは、歴史書だけでなく、文学作品、絵画、地図、航海日誌、商人の記録など、あらゆる種類の資料を駆使し、地中海世界の姿を多角的に描き出しました。また、政治や経済といった従来の歴史学の枠組みにとらわれず、日常生活、食文化、宗教、芸術など、人間の活動のあらゆる側面に光を当てています。
『地中海』は、その学際的なアプローチと壮大なスケールによって、歴史学に新たな地平を切り開いただけでなく、地理学、社会学、文化人類学など、様々な分野に影響を与えました。