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ブラウンの帝国主義の経済学の思想的背景

## ブラウンの帝国主義の経済学の思想的背景

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イギリスにおける経済学の潮流

ブラウンの思想的背景を理解する上で欠かせないのが、彼が学問を深めた1930年代のイギリスにおける経済学の潮流です。当時のイギリス経済学界は、アルフレッド・マーシャルを継承したケンブリッジ学派が主流を占めていました。

マーシャル経済学は、新古典派経済学と呼ばれる学派に属し、自由貿易と市場メカニズムによる資源配分を重視していました。マーシャル自身は、後進国の発展には政府の積極的な介入が必要であると認識していましたが、彼の弟子であるアーサー・セシル・ピグーは、政府の役割を限定的に捉え、自由放任に近い立場を取っていました。

ブラウンは、ピグーの指導の下で経済学を学びましたが、ピグーの自由放任的な経済観には疑問を抱いていました。彼は、世界恐慌後の経済混乱を目の当たりにし、自由放任主義では現実の経済問題に対処できないと考えるようになりました。

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マルクス経済学の影響

ブラウンは、ピグーの指導を受けながらも、マルクス経済学にも強い関心を抱いていました。彼は、マルクスの資本主義批判、特に資本主義における搾取と不平等に関する分析に共感していました。

ブラウンの著作「帝国主義の経済学」では、マルクスが「資本論」で展開した資本蓄積論を援用し、帝国主義を資本主義の必然的な帰結として捉えています。彼は、資本主義経済が発展するにつれて、利潤率が低下し、過剰資本が生じると主張します。そして、この過剰資本を海外に投資することで、資本主義は新たな市場と資源を獲得し、利潤率の低下を防ごうとする、というのがブラウンの主張です。

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レーニン「帝国主義論」との関係

ブラウンの「帝国主義の経済学」は、レーニンの「帝国主義論」の影響を受けているとされています。レーニンもまた、マルクスの資本蓄積論を基に、帝国主義を資本主義の最高段階として捉えていました。

しかし、ブラウンとレーニンの間には、重要な違いも存在します。レーニンは、帝国主義を資本主義の最終段階と見なし、帝国主義戦争が社会主義革命の引き金になると考えていました。一方、ブラウンは、帝国主義を資本主義の特定の段階における現象と捉え、帝国主義が必ずしも戦争や革命につながるとは考えていませんでした。

ブラウンは、レーニンの著作を高く評価していましたが、レーニンの主張をそのまま受け入れるのではなく、独自の視点から帝国主義の分析を試みています。

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