## フリードマンの資本主義と自由から学ぶ時代性
### 1960年代という時代背景:
冷戦下の自由主義擁護と経済的自由の強調
ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』が出版された1962年は、冷戦の真っただ中であり、アメリカがソ連とのイデオロギー闘争を繰り広げていた時代でした。共産主義陣営との対立が深まる中で、西側諸国では資本主義体制の正当性と優位性を主張することが喫緊の課題となっていました。
フリードマンはこのような時代背景の下、『資本主義と自由』において、経済的な自由こそが政治的な自由の基盤であると主張し、自由市場経済こそが個人の自由と社会の発展を実現する唯一の道であると訴えました。彼は政府による経済への介入を徹底的に批判し、市場メカニズムによる自己調整機能を重視する立場を明確に打ち出しました。
### ケインズ経済学への反論:
政府の役割と市場の効率性に対する異なる視点
当時、世界恐慌の影響から脱却するために政府による積極的な介入を重視するケインズ経済学が主流となっていました。しかしフリードマンは、ケインズ主義的な政策は短期的な効果しかなく、長期的にはインフレーションや政府の肥大化などの弊害をもたらすと批判しました。
彼は、市場メカニズムこそが資源配分や価格決定において最も効率的であるとし、政府の介入は市場の歪みを生み出し、経済の活力低下につながると主張しました。そして、政府の役割は市場メカニズムが適切に機能するための環境整備に限定されるべきだと論じました。
### 社会福祉政策への批判:
自由と平等のバランスをめぐる議論
フリードマンは、福祉国家政策についても批判的な立場をとりました。彼は、政府による社会福祉政策は個人の自由を制限し、勤労意欲を阻害すると主張しました。そして、福祉政策は市場メカニズムを通じた経済成長によって自然と解決されるべき問題であると論じました。
彼の主張は、個人の自由と責任を重視する立場から、政府の役割を最小限に抑え、市場メカニズムによる自己責任と競争を促進することで、社会全体の利益を最大化できるとするものでした。
### 教育バウチャー制度の提唱:
教育における自由化と競争原理の導入
フリードマンは、教育分野においても自由競争を導入することを主張しました。彼は、政府による教育機関の独占は教育の質の低下につながるとし、教育バウチャー制度の導入を提唱しました。
教育バウチャー制度とは、政府が教育機関ではなく、保護者にバウチャーを支給し、保護者が自由に学校を選べるようにする制度です。彼は、この制度によって教育機関間の競争が促進され、教育の質が向上すると期待しました。
### フリードマンの思想が与えた影響と現代社会への示唆
『資本主義と自由』は、出版当時から大きな反響を呼び、その後の経済政策や社会思想に多大な影響を与えました。彼の主張は、レーガン政権やサッチャー政権など、新自由主義的な政策を推進する政権によって積極的に採用され、世界経済のグローバリゼーションを加速させる原動力となりました。