## フッサールの純粋現象学および現象学的哲学の諸問題に関連する歴史上の事件
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19世紀後半~20世紀初頭のヨーロッパの知的危機
エドムント・フッサール(1859-1938)の生涯と仕事は、19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパにおける重大な知的危機と切り離せない。この時期、伝統的な形而上学や認識論の基盤は、自然科学の台頭、歴史主義と相対主義の広がり、ニーチェのような思想家によるニヒリズムの台頭によって、ますます疑問視されるようになった。
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心理主義批判と超越論的現象学の誕生
フッサールは初期の著作、特に1900年に出版された『論理学研究』の中で、当時の心理学主義的な哲学の潮流を批判した。心理主義は、論理や数学などの規範的な学問を、心理学的なプロセスに還元しようとする立場であった。フッサールはこのような立場に反対し、論理や数学の客観性と必然性を擁護するために、意識の超越論的な構造を明らかにしようとした。これがフッサールの超越論的現象学の出発点となる。
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第一次世界大戦とヨーロッパ精神の危機
第一次世界大戦は、ヨーロッパの文化と精神に深い傷跡を残し、フッサールの哲学にも大きな影響を与えた。戦後、フッサールはヨーロッパの危機を克服するために、理性と精神性を回復する必要性を痛感するようになった。彼は、相対主義や懐疑主義を超克し、普遍的な真理と価値への道を切り開くために、現象学をさらに発展させようとした。
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現象学運動の発展とナチス政権による弾圧
1920年代から30年代にかけて、フッサールの現象学は、マルティン・ハイデガー、ジャン=ポール・サルトル、モーリス・メルロ=ポンティなど、多くの哲学者たちに大きな影響を与え、現象学運動として発展していく。しかし、ナチス政権の台頭とともに、ユダヤ人であったフッサールは大学を追われ、彼の著作は発禁処分となった。フッサールは亡命先のベルギーで亡くなったが、彼の思想は弟子たちによって受け継がれ、戦後、世界中で広く研究されるようになった。