## フッサールのヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学の感性
フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」における感性の位置づけ
フッサールは、「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」において、近代科学の危機を克服するために、哲学を厳密な学として再建することを目指しました。この試みにおいて、感性は重要な役割を果たします。
近代科学の危機と感性の問題
フッサールは、近代科学の危機を、客観主義と主観主義の二元論に陥った結果だと考えました。客観主義は、世界の客観的な法則を明らかにすることを目指しますが、その過程で、主観的な経験を排除してしまうことになります。一方、主観主義は、主観的な経験を重視しますが、客観的な世界の認識を軽視してしまうことになります。
超越論的現象学における感性の捉え直し
フッサールは、この二元論を克服するために、超越論的現象学を提唱しました。超越論的現象学は、意識と対象との関係を、先入観なしに記述することを目指します。この記述において、感性は、単なる受動的な感覚器官ではなく、能動的に世界を構成する力として捉え直されます。
感性と「志向性」
フッサールは、意識は常に何かに「向かっている」という性質、すなわち「志向性」を持つと主張しました。感性もまた、この志向性を持つものとして捉えられます。つまり、感性は単に外部からの刺激を受けるだけでなく、能動的に対象へと向かい、その意味を構成する働きを持つのです。
パッシブ・シンセシスとしての感性
フッサールは、感性による世界の構成を「パッシブ・シンセシス」と呼びました。これは、意識が能動的に働きかける以前の、受動的なレベルでの統合を意味します。感覚データは、パッシブ・シンセシスを通じて、時間的・空間的に秩序づけられ、統一的な対象として構成されます。
感性と身体性の関連
フッサールは、感性を考える上で、身体の重要性を強調しました。身体は、単なる物質的な存在ではなく、意識と世界を媒介する存在、すなわち「生きた身体」として捉えられます。感性は、この「生きた身体」を通じて世界と関わり、意味を構成していくのです。
「生活世界」の構成における感性の役割
フッサールは、我々が日常的に経験する世界を「生活世界」と呼びました。生活世界は、科学的な世界の基礎となる、より根源的な世界です。感性は、この生活世界の構成においても重要な役割を果たします。我々は、感性を通じて、生活世界を、具体的な意味や価値に満ちた世界として経験するのです。